七回表。不慣れなサブマリンとはいえど、さすがに直球続きでは藤巻も慣れてきており、簡単に抑えることはできないでいた。
 三塁線から僅かに外れたファールボールを打たれ、ツーストライク、ツーボール。
 「同じ球を何度も投げられれば、誰だって慣れるもんだぜ」
 藤巻が不敵に笑う。俺は手中の白球を強く握りしめ、ゆっくりと息を吐く。
 俺の持ち玉はストレートのみ。守備がいようものなら、打って取らせる戦法で失点を抑えることができるが、今回のルールはヒット一つで得点となる。
 緩急を得意としない俺からすれば、かなり不利なルールだ。勝負を始める前から気付くべきだった。
 さて、俺はどうするべきか。投げようと思えばチェンジアップも投げられなくはないが、付け焼き刃の緩い球など、相手にとっては格好の的だ。
 「音無!」
 日向が叫ぶ。要求したコースは外角を外れたボールゾーン。一球を外せとの指示だが、そうしたところで、藤巻も振ってくれるとは思わない。かえって、俺が追い込まれるだけだ。
 俺は首を振って、投球に入る。
 打たせて取る方法ではなく空振りさせる戦法と取るとすれば、狙いは一つ。内角の低め、ギリギリのコースだ。
 球が指先から放たれる。狙い通りのコース。だが――、
 カィンッ! と金属音が響き渡った。
 球は俺の頭上を舞い、通り抜けて右中間へと落ちる。結果は……!?
 「ヒットです。藤巻チーム先制です」
 遊佐がそう判定を下した。ついに、藤巻に点を許すこととなってしまった。
 「……悪い」
 ピッチャーマウンドを去る時、ホームベース付近にいた日向に声をかける。
 素直に日向の指示に従っておけばよかった。あそこまで打つ気満々だったのだから、ボール球を振ってくれた可能性もあっただろうに。
 「気にすんなって。俺が次で打てばいいだけの話だろ?」
 日向が自信満々で微笑む。確かにその通りではあるが、
 「じゃあ、次は打てる自信あるんだな?」
 そう訊くと、ノーヒット男の日向は無言のまま苦笑いし、視線を空へと向けた。
 ここまでか。いい勝負だったんだけどなぁ……。
 そして七回の裏がやってくる。ここが正念場だ。しかし、先ほどの日向の反応を見るに、やはり打てる見込みはない。
 高松は相変わらずナックルボールを投げ続け、案の定、日向は連続して空振りを続け、あっという間にツーストライク。
 あと一回空振りをすれば俺たちの負けが決まる、運命の一球。
 「……決まったな」
 俺の横で、ベンチに腰掛けているひさ子がそう呟いた。わずかに残念そうに見えるのは、俺の錯覚だろうか。
 岩沢はというと、何も言わずにただ球場を見つめている。俺たちの勝ちを望んでくれている岩沢からすれば、なにか手はないのか、奇跡でもいいから打ってくれないものかと懇願しているのだろう。
 しかし、現実はそう甘くない。少なくとも、野球というものは簡単に戦況をひっくり返したり、奇跡でどうこうなるものじゃない。仮に奇跡が起こったとしても、それは何日、何ヶ月、何年と続けてきた努力が起こすものだ。この不変の世界で自由気ままにすごしてきた俺たちが、そういったものを起こせるはずがない。
 「あれ? みなさん、さっきと違って葬式ムードですね。ひなっち先輩を応援しなくていいんですか?」
 そんな中、ユイが軽はずみな口調で言う。こいつ状況分かってんのか? あと一球で終わるんだぞ?
 「分かってますよー。だからひなっち先輩が打てればいいだけの話でしょ?」
 「そういかないから悩んでるんだろ。相手の球は揺れながら進んで不規則に落ちる、まともな球じゃないんだ。今まで一つもヒットを打ててないんだぞ」
 愚痴るようにユイに言うと、ユイは子どものような笑顔を浮かべ、
 「だったら、こっちもまともじゃない状態で打てばいいんじゃないですか? 例えば目隠しして打つとか、逆立ちしながら打つとかっ」
 そんな状態じゃ尚更当たらないだろ。目隠ししたら球なんて見えないし、逆立ちなんてしたら平衡感覚が狂ってしまう。狙った場所にバットを振ることだってまともにできなくなるぞ。
 相手のボールだってまともに狙えるものじゃない。ましてや、練習もしていないのにまともな状態で立ち向かっては、凡打を築くのは当たり前だ。ナックルボールとはそれほどの魔球だと言ってもいい。だからこそ、俺たちがそれを打破する最善の選択は――、
 「た、タイムだ!」
 俺は立ち上がってそう叫んだ。高松は今まさにピッチングモーションに入ろうとしているところで、制止する。
 「てめぇ、何回タイム取らせんだよ! それで俺たちの調子を乱そうって気か!?」
 捕手の藤巻が立ち上がって叫ぶ。何回もタイムをかけていては、そう思われるのも仕方がない。
 「そんなつもりはねぇ。ただ、後一回だけタイムをくれ。な、いいだろ? ゆり」
 眉根を寄せてこちらを睨むゆりに対して、俺が頼み込む。ゆりはふん、と鼻を鳴らして「あと一回だけよ。タイム!」と宣言を下す。
 俺はすぐさま、日向をベンチへと呼び寄せた。
 「どうしたんだよ。ゆりっぺ起こってるぜ?」
 バットを肩に担いだまま、日向が人事のように言う。
 「分かってるよ。それでもお前に伝えなきゃいけない事があったんだ」
 「……なんだよ、唐突に」
 俺は日向の目を見据えて、びしっ! と指さし、
 「お前にナックルボールは打てねぇ」
 監督同様の態度で、そう宣告した。日向も逆上することもなく、かえって落ち込むこともなく「それでも、勝負から逃げるわけにはいかねぇよ」と呟く。どうやら、日向自身も半ば諦めている様子だ。
 「じゃあ、打てる策があるって聞いたらどうだよ?」
 「なに……?」と日向が顔をしかめる。
 正確には、打てる策というよりは、打てるかもしれないという賭けだ。だが、そうでもしなければこの問題は打開できない。後は、日向がそれに乗るかどうか。
 日向は十秒ほど思案した後、「音無が言うんなら信じるぜ。是非教えてくれよ、その策を」と承諾した。
 「そうこなくっちゃな。じゃあまず、目をつぶって仰向けになって寝てくれ」
 疑問視をする日向だが、俺の案に従って、砂が敷き詰められた球場で仰向けに寝て目を閉じる。
 「これでいいのか?」
 「ああ。そのまま待っててくれ」
 日向にそう言い残し、今度はユイの方へと歩み寄る。
 「あれ? ひなっち先輩どうしたんですか。まさか諦めて全てを投げ捨てたとか……?」
 四肢を広げて寝転ぶ日向を見て、ベンチに座っていたユイが訝しげに言う。
 「ああ、そうだ。だからあの根性無しに気合いを入れてやってくれ」
 そう促すと、ユイは「よっしゃ、いっちょやったらぁっ!!」と腕まくりをしながら立ち上がる。
 ゆっくりと日向に歩みよるユイ。今にも全体重を乗せたギロチンをお見舞いしそうな勢いだ。
 「おい新人。いったい何を考えてんだ?」
 止めに入ろうとするひさ子。しかし、岩沢がひさ子の服の裾を掴んで止める。
 「何が目的か知らないけど、音無が何かを考えたんだ。見守ろうよ、ひさ子」
 そう言って岩沢がなだめ、ひさ子も「ま、いいけど……」とつまらなさそうに呟く。
 そして、ユイが日向を見下ろす状態になる。両目を閉じている日向は、ユイが近づいていることに気付かず待機状態だ。
 「ふっふっふ……。まずは何からお見舞いしようか……」
 「この腑抜けを成敗するのに、いい技があるんだが、聞いてくれるか?」
 腕組みをして邪悪な笑みをうかべているユイに対して、俺が提案。
 「いいでしょう。越後屋先輩の意見を、ぜひ聞いてあげましょう」
 音無な。いい加減覚えてくれ。俺は悪代官気分のユイに耳打ちで案を打ち明ける。すると、以外にもユイは驚いたような表情を作り、
 「いや、さすがのあたしもそんな事は……」
 抵抗の意志を見せた。てっきり二つ返事で受け入れてくれると思ったのだが……。
 しかし、ここで折れるわけにもいかない。
 「頼むよ。これはユイにしかできない……いや、ユイじゃないとダメなんだ。日向のことを思って、ここは一つ」
 日向を見て悩むユイだったが、俺の懇願に対して「……分かりました」と渋々承諾。無理言ってごめんな。でもこれしか方法はないんだ。
 ユイは日向の下半身の上に立つ。ごくり、と唾を飲むユイ。そして、ゆっくりとしゃがみ込み、日向の足首へと手を回す。
 「おーい、音無。いつまでこんなことしてりゃいいんだよ。いい加減、ゆりっぺもかんかんに……ぬぉあっ!?」
 唐突に日向が悲鳴を上げた。それもそのはず。自分の後頭部が砂の上を横滑りしているのだから当然だ。
 「いだだだだだだだ熱ッ!!? なにしてんだユイこらぁっ!」と目を開けた日向がユイに向かって叫ぶ。
 やがて、少しずつ日向の身体が地面から浮いてくる。ユイは両脇で日向の両足首を抱えながら自転し、さらにスピードを上げていく。
 「くったばれや、オラァアアーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!」
 そう。俺がユイに命じてかけさせた技は――ジャイアントスイングだ。つーか、さっきとは打って変わってユイのやつノリノリだな。
 十回転を超えたあたりで「も、もう限界……」とユイが目を回しながら声を漏らす。
 「もういいぞユイ、フィニッシュだ! 両手を放して日向を投げつけろ!」
 「ふぃ、ふぃにっしゅ……? せりゃぁああああぁああああっ!!」
 ユイがよろけながらも渾身の力を振り絞って日向を投げ出した。方向までは狙えなかったのだろう、ひさ子と岩沢が座っているベンチのすぐ横に、日向は頭から突っ込んだ。
 ガッシャァン! という、えげつない轟音とともに日向がベンチの上へと転がる。この世界じゃなかったら、間違い無く致命傷を負っているだろう。
 「な、なにが起こったんだ……?」
 ひさ子に身を寄せて岩沢が警戒する。その横から、頭から血をながした日向がゆっくりと立ち上がった。
 「ユイ……おま、なにしや、が……る……」
 荒い息を吐きながら、日向が声を漏らす。視線が定まっていないところを見ると、再起不能な状態だ。ちょっとやりすぎたか。
 ユイはいたずらがバレた時のような、かわいらしい笑顔を作って、
 「いやぁ、ひなっち先輩が諦めて寝始めるから、ちょっと起こしてあげようと思って」
 「起こしてあげよう、じゃねーよ! どんな起こし方だよ、つか、お前のせいで本日二回目の流血ですけど、なにか言うことあるんじゃないんですかっ!?」
 「……先輩、レバー食べる?」
 「いらねぇよ! むしろお前は血を抜いてもらえぇえええーーーーーーーっ!」
 二人が言い争う中、俺は早足でかけより、ぜーぜーはーはー、と声を上げるのも苦しそうな日向にバットを手渡してやり、
 「さ、日向。プレイ再会だ」
 「お前って……結構鬼だよな……」
 げんなりとした様子で、千鳥足のまま日向がバッターボックスへと向かっていった。
 この策が吉と出るか凶と出るか、全ては日向次第だ。



 ゆりがプレイ再開を宣言し、七回裏が始まる。
 ふらふらのまま打席に立つ日向。バットを構えるだけでも辛そうだ。
 かまわず、高松がピッチングモーションに入る。身構えることもできずに日向はうつろな目で立ち尽くす。
 高松は変わらずナックルボールを投げ、球は低めの位置に。シュート方向へと変化した球を日向は見送る。判定は……ボールだ。
 「くっそ……球がよく見えねぇ……」
 日向がぼやく。どうやらさっきの見逃しは、コースを見極めたためではなく、ただ手が出なかっただけのようだった。危なかった。
 藤巻が高松に球を返して、ツーアウト、ワンボールからの第四球。
 高松の投げたナックルボールは、やや高めの位置。そこから不規則な変化を始める。日向は足をゆっくりとあげてバッティングのモーションに入る。
 「打て! 日向ぁっ!」
 願いを込めた俺の叫び声と共に、金属バットの乾いた音が響いた。
 気持ちいいほどの快音。白球は青空へと打ち上げられ、投手の高松の頭上の遙か上を行く。
 そしてそれは、左中間のスタンドイン手前へと落ちていった。
 「ツーベースヒットです」
 と遊佐が判定を下す。文句の付け所がないヒットだった。
 「やればできんじゃねぇか!」
 俺が駆け寄り、日向の背中をバンバンと叩いてやる。しかし当の日向は、自分が打ったことを自覚していない様子で、呆けたまま、
 「あ、ああ。そうだな……」
 と曖昧な返事を返した。
 決め球を打たれた高松はというと、戸惑いを隠せずに呟いている。
 「なぜ私の球が……あんな弱りきった状態の相手に打たれるのです……?」
 「まぐれに決まってんだろ。気にすんなよ高松。次からはまたノーヒットで抑えていこうぜ」
 ピッチャーマウンドへとかけよった藤巻が高松をなだめる。まぐれか。確かに語弊ははないな。
 相手もすぐに次の回へは移れないと見て、俺は日向を連れてベンチへと戻っていった。
 そこには、立ち上がって日向を迎え入れるひさ子と岩沢とユイの姿があった。
 「口だけのやつかと思ってたけど、やる時はやるんだな。素直に見直したぜ、日向」
 「日向、あんたかっこいいよ。最高にロックだった。音無も、これは全部計算のうちなのか?」
 「なんかよく分かんないけど……よくやったな、オラァッ!」
 三人が同様に日向を賞賛する。日向は「ありがとな……」と一言で返した。
 「そろそろ聞かせてもらってもいいよな?」
 そしてひさ子が俺に問う。なにをだよ、と訊き返すと、
 「あんたが講じた案の種明かしだよ」
 「それは私も聞きたいな。全部音無の計画通りだったってことだろ?」
 ひさ子に便乗して岩沢も質問する。
 「全部が全部ってわけじゃないけどな。球がぶれて、落ちる起動も分からないナックルを打つのは容易じゃない。だからこそ、日向の平衡感覚を狂わせて、まともじゃない球に対してまともじゃない状態の打者を向かわせたんだ」
 俺が説明をすると、ユイは理解できていないような表情を浮かべ、岩沢は「策士だな。それほどの発想力があるならいい作詞もできるんじゃないのか」とダジャレ気味た事を言い、ひさ子は「あんた、見た目と違って以外と頭脳派なんだな」と納得した表情を作る。見た目と違っては余計だ。
 とはいえ、ある意味賭けだったこの勝負、成功したからこそこうやって熱弁できるわけで、失敗していたらもう言葉も出ない。
 そして、まだ浮かれているわけにはいかず、本当の勝負は次の回だ。
 日向に繋ぐためにも、次は絶対に抑えなければならない。
 八回表。さっきの回では小細工を駆使して首の皮が繋がったが、守備に関しては小細工など思い浮かばず、俺がそれをできるほどの技量もない。
 正真正銘の真っ向勝負だ。
 「さっきは何してくれたかは知らねぇけど次はねぇぜ。なにせ、この回で俺がここでてめぇを打ち砕いて、高松が日向を打ち取って終わるからな」
 藤巻が挑発気味に言う。それはこっちのセリフだ。
 「音無、思いっきり投げてこい!」
 日向がキャッチャーミットを構えながら叫ぶ。言われなくても、今の俺には渾身のストレートを投げる以外に方法はない。
 藤巻が構えたのを確認したのち、ピッチングモーションへと入る。
 左足を滑らせて、身体を限界まで落として腕を振る。放たれたボールは、藤巻のバットのわずか下を通ってキャッチャーミットに収まった。
 「ストライク!」
 ゆりがコールをし、藤巻がくそっ、と声を漏らす。
 自分で言うのもなんだが、以外と球が走っているようにも思えた。さっきの日向の功績で俺も調子が戻ってきたんだろうか。
 なんにせよ、次だ。
 二球目。日向が内角の高めを要求。俺は指示通りそこへ投げ込むが、球が反れてボール。藤巻も身体を仰け反らせて冷静に見送っていた。
 三球目は、外角に反れるボール球。これでカウントはワンストライク、ツーボール。まだ余裕はある。
 四球目。俺の投げたボールは、内角の低めに収まる。微妙なコース。ゆりの判定は……、
 「……ボール!」
 これでスリーボールだ。なにやってんだ俺は。ここでフォアボールを出してヒット扱いなんてシャレにならないぞ。
 もうはずせない。五球目、ボールの軌道は……ど真ん中やや高めの甘い球。藤巻はそれを見逃さずに打ちに行く。
 カァンッ! という音と共に球が打ち返された。セカンドライナー。だが、
 「うぉおおおおっ!!」
 俺はとっさに左手を伸ばす。打球は俺のグローブに当たったが、収まらずに弾かれて後逸する。しかし、勢いを殺された球はセカンド真正面へとゆっくりと転がって、外野の芝生に入ったところで止まった。
 「……アウトです」
 遊佐がそう告げた。ライナーがピッチャーよりだったこともあり、どうにか止めることができた。
 またしても運に救われたな、俺たちは。
 藤巻も悔しそうにしてうめく。もう少し振るタイミングが遅ければ確実にヒットになっていただろうが、後悔したところで結果は変わらない。それが野球ってもんだ。
 攻守交代なので、ピッチャーマウンドへと歩み寄ってくる高松にグローブを渡す。そしてそれと同時に、
 「ユイ! やってくれ」
 俺が呼びかけると同時、すでにネクストバッターサークルで待機していた(わざわざそこで待機する必要もないだろ)ユイが走りだす。そして跳び、日向にドロップキックを食らわせて吹っ飛ばした。
 もうタイムが取れないので、交代の時間を使って即座に、日向にジャイアントスイングをかけろと事前にユイに言っておいたのだ。
 「おまっ、なにしやが、」
 「もっかい……回れやぁあああーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
 日向の抵抗を無視して、ユイが早技でジャイアントスイングをかける。既にユイのプロレス技はプロ並みだ。
 五回転あたりしたところで、ユイが日向を投げ出す。日向は地面をすべり、ユイもそのまま地べたへと這いつくばった。
 「あなたたち……よく飽きないわね」
 ゆりが軽蔑の目で日向を見る。
 「俺だって望んでやってんじゃねぇよ! 二回目なんて聞いてねぇよっ」
 無論、日向に話を通してはいない。
 全力を出し切って倒れ込んだユイをひさ子と岩沢が回収して、タイムを挟まずに八回裏を迎える。
 前回と同様、ふらふら状態の日向。またしても同じ戦略で臨む俺たちだが、高松はほくそ笑む。
 「なにが目的かは分かりませんが、その状態なら……」
 高松が球を投げる。球種は――ストレート!? しまった、正常じゃない日向に速球を捉えるほどの余裕はない。
 しかし、日向はタイミングを合わせてバットを振った。やや崩れた体制からのバッティング。そして打球は――、
 金属音とともに、青空へと吸い込まれていった。見失いそうになるほどの高さ。左中間へと上がった球は、スタンドの奥へと消えていった。
 「……ホームランです」
 冷静な遊佐の声。俺たちは歓声を上げて叫び合った。



 「……というわけで、日向くんチームの勝利ね」
 俺と日向、藤巻と高松が整列して、ゆりがそう告げた。
 勝負は俺たちに軍配が上がり、約束通りひさ子を俺たちのチームに迎え入れることとなった。
 「ちっ……まさかひさ子を取られちまうとはな……。まぁ約束しちまったもんはしょうがねぇ。素直にくれてやるよ」
 藤巻が捨て台詞を吐きながら球場を後にする。
 「自信はあったのですが……私たちの完敗です。ですが、本戦でぶつかった時は容赦はしませんよ」
 「ああ。臨むところだ」
 俺は高松と握手を交わし、高松も藤巻を追って歩いていく。
 「まったく……くだらないことに時間を使っちゃったわね。あたしももう行くわ」
 気だるそうに、手をひらひらさせて別れを告げるゆり。
 「待ってくれ、ゆり」
 俺の呼び止めに、「なによ」とゆりが振り返る。
 「忙しい中、付き合ってもらって悪かったな。すごい助かった」
 ああ、とゆりは言葉を吐き、
 「この程度の苦労で天使の悔しがる姿が見られるなら安い物だわ。それと、中々面白い試合だったわよ。明日の本戦も期待してるわ」
 そうしてゆりはまた校舎の方へと向き返り、「それじゃ」と一言告げて、球場を後にした。
 「それでは、私もこれで」と遊佐もゆりに続いていく。
 二人を見送った後、日向は俺の肩に手を置いて屈託のない笑顔で言う。
 「一時はどうなるかと思ったけど、どうにか勝てたな。しっかし音無も意外とスポ魂な」
 うるせぇ。俺自身、スポ魂が内在していたことに驚いている。
 「つーかお前、最後の球よく打てたな。あの状態じゃボールがまともに見えなかったんだろ?」
 ベンチへと向かいながら、俺が日向に尋ねる。日向は再び笑い、
 「さすがに二回も同じ技をかけられれば慣れるさ。しかも二回目は威力も弱かったしな。逆にナックルを投げられてたら危なかったかもしれねーぜ」
 なるほどな。そういう事実があったわけか。高松が用心深いやつでよかった。恐らく、藤巻だったらナックルボールを投げ続けていただろう。
 ベンチに戻ったところで、日向がごほん、と咳払いを一つ。
 「紆余曲折あったが、ひさ子と……あと岩沢も、俺たちのチーム加入ってことでよろしくな」
 岩沢は「よろしく」と一言であいさつを済ませる。だがひさ子は腕を組み、怪訝な顔を浮かべ、
 「やだ」
 「はぁっ!? おいちょっと待ってくれよ、それじゃ俺たちのさっきの苦労は一体、」
 「……と、言いたいところだが」
 ベンチに座っていたひさ子が立ち上がり、声を荒げる日向の前に立つ。
 「勝負で決まったことだからな、あたしも従うよ。賭け品にされたのは不本意だけど……。それと、このチームに興味が沸いた。もしかしたら、このチームでなら生徒会チームに勝てるかもしれないな」
 じぃっ、と俺を見据えるひさ子。俺の顔になにかついてる?
 やがて目を反らし、岩沢と談笑を始めた。なんなんだ一体。
 こうして俺たちのチームのメンバーは、俺、日向、ユイ、岩沢、ひさ子と五人になった。
 残る人数は四人。メンバーを獲得する度に毎回こんな苦労をしなければいけないとしたら、勘弁してもらいたいところだ。





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