ただでさえ昼休みという一般生徒で溢れる時間帯なのに、食堂に近づくにつれて、さらに人の数は増えていった。
 遊佐とはぐれないように、人混みの中を進んでいく。
 今更になって思うが、時間をずらしたほうが良かったのではないかと思えてくる。
 授業に出席する義務が無い俺達にとっては、メニューを注文さえすれば始業のチャイムが鳴ろうがおかまいなく飯を食べていられるからだ。
 食堂の中へと入り、食券と引き替えに昼飯を提供してくれるカウンターへと向かっていく。
 ちゃんと遊佐がついて来ているか確認を取るために後ろを振り返る。ただでさえあの身長だ。この人混みの中で見失ったら落ち合うのは難しいだろう。
 しかし、背後に遊佐の姿は無かった。辺りを見回してみても、彼女とおぼしき影は見当たらない。
 マジかよ……。この歳になってまで迷子になるんじゃねぇっつの。
 「おーい、遊佐ー! いるなら返事しろーっ!」
 呼びかけてみるが、返答はない。むしろ、一般生徒達の騒々しい声によって届いているかどうかも怪しい。
 ここではぐれては元も子もない。俺は遊佐を捜し始める。
 「遊佐ー! ゆさゆさゆさゆさ、遊佐ーっ!」
 適当にリズムを加えながら、遊佐の名前を連呼する。
 「ゆさゆさゆ、」
 どんっ。
 「うぉっと!」
 辺りに気をとられていたら、正面から柔らかいものが思いっきりぶつかった。
 よろけるが、どうにかもちこたえる。だが、俺にぶつかってきた相手は、はね飛ばされてしりもちをついていた。
 「いってぇな……あんた、ちゃんと目ぇついてんのか!」
 「わりぃ、ちょっとよそ見してて……って、あ」
 俺は思わず気の抜けた声を漏らす。
 地べたに座り込んだその相手は、ゆりと同じような一般生徒とは違う制服を着ており、つむじの後ろからはポニーテールが伸びていて、腰を押さえながら俺をにらみつける。
 「えーと、大丈夫ですか。ひさ子さん?」
 彼女の剣幕に負けて、敬語で語りかけてしまう。
 「なんだ、記憶無しの新人くんかよ……。ったく、気をつけなよ」
 鋭い視線を弱めて、ひさ子が俺を見上げる。
 俺は近づいていって手を差し伸べてやる。だが、とっさのことだったから無理も無いが、無防備にも彼女は開脚したまま座り込んでおり、形のいい二本の太ももが伸びる先から、俺を誘惑するものが見え隠れしている。
 よれたスカートから除くそれは、まぎれもなく、ひさ子の……ひさ子の、
 「なに? どしたの?」
 「いや、なんでもねぇ……」
 気の抜けた顔をして伺ってくるひさ子から目をそらす。
 不思議そうに首をかしげるひさ子だが、俺の意図に気付いたのか、自分の下半身にゆっくりと視線を動かすと、恥じるようにスカートの裾を押し下げた。
 「あんた、今、あ、あたしのっ……!」
 「違うっ! ほら、事故。事故ですからっ」
 戸惑う俺に対して、ひさ子は勢いよく立ち上がり俺の胸ぐらを掴むと、そのまま俺を力強く押し出した。
 背中で何人かの生徒達を押しのけて、勢いよく食堂の壁に叩きつけられた。何度か咳き込むが、おかまいなしにひさ子は俺の襟を締め上げて、上へと持ち上げる。
 俺のほうが身長が高いというのに、足が浮いてしまいそうな勢いだ。
 それ以前に、呼吸がままならない。
 「落ち着け、とりあえず落ち着いて話をしよう」
 「あんた、さっき見たよな。しっかりと凝視してやがったよなぁ? あぁんっ?」
 はい。見ましたとも。それはそれは、心奪われるほどの純白なものでした。
 「見てねぇ……見てねぇからっ」
 だが、俺にはこう答える以外に選択肢はない。
 ひさ子は顔を真っ赤にして、俺を締め付ける腕にさらに力を込める。
 やばい、やばいって。マジで落ちる。
 「ごめん、ひさ子。ちょっと会議の後に様ができちゃってさー……。って、あんたたち、何してるの?」
 ひさ子の背後から救いの声がかかる。
 ひさ子の背中越しからひょっこりと顔を覗かせていた女生徒は、ついさっきまで一緒に作戦本部にいた岩沢だった。
 岩沢は無垢な瞳で俺とひさ子を交互に見やる。ひさ子の隣まで歩いて来ると、恐らく青ざめているであろう俺の顔を見上げた。
 「音無がなんかしたの?」
 鬼の形相をしたひさ子に、岩沢は冷静に問いかける。
 「ああ。……聞いてくれよ岩沢。さっきこいつな、あたしのパン、」
 「パンドラ……そう、パンドラだよ! ひさ子のパンドラの箱を俺が開けようものなら、こいつがパンデモニウムのように怒りだして、あげくのはてにはパンナコッタをご馳走してやったらナンテコッターなんてなっ!」
 ひさ子の言葉を遮るように、自分で言ってて意味の分からない言い訳を言うが、こいつ岩沢にさっきの出来事を話すつもりだ。
 やめろ、色々と面倒な事になるのは目に見えている。どうにかしてごまかさないと。
 「ああ、うん。パンナコッタおいしいよね」
 見ろ。意味はよく伝わっていないだろうが、岩沢は食いついている。このままごまかしきれば、
 「ちょっとあんたはだまってろ」
 ひさ子は更に俺の襟を強く締め上げる。もう声もあがらない。マジで容赦ねぇ。
 「で、ひさ子。パンナコッタおいしかった?」
 「何の話だよっ! つーか、こいつがさっき、あたしのパンツを見やがったんだ」
 「――え?」
 岩沢の表情が固まる。
 「音無が……ひさ子の?」
 「ああ。こいつ私のパンツを凝視しながら、にやにやして、きれいなパンツですね、なんて言いやがったんだ。マジでどうかしてるぜ」
 勝手に脚色するんじゃねぇ! 俺をどこの変態野郎に仕立て上げる気だ。
 「音無が? ほんとに音無が……?」
 「そう。残念な事にな」
 そう言って、ひさ子は本当に残念そうに口をつぐみ、目を閉じた。まるでその仕草が俺を案じているようにも思えた。
 「そっかー……あんたが、ひさ子に……へぇー……」
 岩沢は頭を下げて、何かを呟いている。やがて、顔を上げると、俺に対して満面の笑みをあびせた。
 顔は笑っているが、声は笑っていない。頬がひくひくと引きつっている。
 「音無。あんた、ひさ子に手を出したらダメだって言ったよな……」
 引きつった笑顔のまま、岩沢は顔を近づけて俺をにらみつける。
 今朝、ひさ子の寝顔に見とれている俺に対して岩沢は言った。
 ――ひさ子にほれちゃダメだからな。
 つまりこれは、ひさ子は私のものだからあんたが好きにでもなったりしたら私が怒るから、というような類の警告だ。多少語弊はあるだろうが、こういった意味であることに違いない。
 その警告を受けた数時間後に、ひさ子に対して性的な行為を行ったと知れば、岩沢がこの後どういう反応をするかは容易に想像がつくだろう。
 もしかしたら俺、殺されるかもしれねぇ……。
 「ひさ子、悪かった! マジで謝るから岩沢を止めてくれっ! なんでもするからっ」
 「なんでも?」
 ひさ子も笑顔を作って俺の方を見る。この顔は悪巧みを考えている顔だ。
 ひさ子にはめられていることは自覚しているが、今にも怒りを爆発しそうな岩沢を前にしては、四の五の言ってられない。
 「そうだよ、なんでもっ! できる限りの事ならやってやるからっ」
 「そう。その言葉忘れるなよ」
 不敵にふん、と笑ってひさ子は腕の力を緩めて俺を解放する。
 うなだれる俺に対して、間髪入れずに岩沢が歩みよるが、それをひさ子が制した。
 間一髪、どうにか間に合ったようで、ひさ子は岩沢に真実を話し、誤解を解いた。
 岩沢もそれを理解して、いつもの表情に戻る。
 「なんだ。それならそうと早く言ってくれればいいのに」
 そう言って、岩沢は俺の頭を撫でる。
 この二人だけは絶対に敵に回してはいけないと、心に誓った。
 そんな俺達の元に、一人の女生徒が歩み寄ってくる。そいつは俺の正面に立って、腰を屈ませて、上から見下しながら、
 「どこに行ってたんですか、探しましたよ。この歳で迷子になるなんて、しょうがない人ですね」
 小学校低学年の生徒に注意を促す教師みたいに、遊佐が俺を諭した。
 この野郎。人の気も知らねぇで。



 岩沢とひさ子と、それに遊佐も連れて、俺達は食堂の隅に集まり陣を取る。
 校舎内の廊下でそれをしようものなら、怪しげな何かの集まりではないかと敬遠されるような雰囲気をかもしだしていたが、それも休日昼間のショッピングモール並に人が溢れかえる食堂内では人混みに埋もれ、通行人は見向きもしないだろう。
 腕を組んでひさ子がなにやら考え込む。その隣で岩沢はいつも通りに涼やかな顔で隣にいるひさ子を見つめ、正面にいる俺は今から説教でも説かれるんじゃないかという空気を感じて、眉をひそめる。遊佐はというと、相変わらずの無表情だ。
 やがてひさ子が顔を上げる。俺は無意識にびくりと身体を震わせると、俺をさらに追い詰めるかのようにひさ子が一歩前へと歩を進め、
 「ん」
 ひさ子が小さく声を漏らし、俺に向かって右手を差し出した。
 なんだ? 友情の握手か?
 ひさ子の細く白い指。普段のそれはギターを弾くための、ピックを握って弦をかき鳴らすという動作を何万何千回と行ってきたものだ。やはり繊細な動作を要求されるため、きれいな手のひらをしている。
 豆だらけ、垢だらけのギルド作業員のそれとは正反対といえよう。
 まぁ、女の子の指なんだから繊細な作りをしていて当然なのだけど。
 俺はひさ子の差し出した右手を、敬意を払って強く握り返した。
 「なっ!?」
 ひさ子の顔面が紅潮していく。力強く俺の握り返した手を振り払って、自分の右手を胸に抱くようにして抱え込んだ。
 「い、いきなりなにすんだ、てめぇっ!」
 不審者を見るような目つきで俺を睨みつける。
 「え? いや、さっきの事を水に流して、仲直りの証として俺に友情の握手を求めたんじゃなかったのか?」
 最大の敬意を払ってそれに応じたつもりなんだけどな。不服だったのだろうか。
 「ちげぇーよっ! んなもん求める気もねぇし、さっきの事をさらっと水に流すつもりもねぇっ! そんな事じゃなくて、さっさと出せって言ってんだよ」
 「出せってなにを。飴ちゃんでも欲しいのか」
 「大阪のおばちゃんか、あんたはっ。……ったく、わかんねぇやつだな。飯おごれって言ってんの」
 ひさ子は、ふん、と鼻を鳴らすと、腕を組んで横目で俺を一瞥した。
 その横で岩沢は何事かと、ひさ子と俺を交互に見やり、遊佐は相変わらず他人事のように黙りを決め込んでいる。
 なるほど。つまりはさっきのいざこざを口実にして、俺に飯をせがんでいるわけか。
 あれは故意の無い事故ではあるが、状況からすると男の俺の方が悪いようにも見える。事が大きくなる前に、ここは反論せずに素直に従うのが正しい選択だろう。
 ちょっと待ってろ、と言って、俺はひさ子に背を向けて財布の中を漁り始めた。
 中の金額は、少なくとも充実しているとはいえない。いつも食券を入れている札束の手前にある別のポケットから、数少ないであろう食券を漁った。
 出てきたのは二枚の食券。肉うどんとカレーライスという普遍的なものだが、昼飯としては申し分ない。だが、この枚数で昼飯をごちそうしようと思うのであれば、頼りない枚数だ。
 ひさ子の分だけであれば一枚で済むのだが、俺は昨夜に遊佐に肉うどんをおごるという約束をしている。ひさ子にカレーライスを、遊佐に肉うどんをおごると、それだけで食券は底をつく。もちろん俺の分はない。
 俺一人が我慢する状況ならいいのだが、問題は岩沢もいることだ。二人にごちそうして、岩沢の分だけはないとなると、さすがの岩沢も気分が悪いだろう。クールに「いいよ。自分の分は自分で出すから」なんていうかもしれないが、内心それでおさまるような女ではないことを、俺は最近の岩沢との日常から学んでいる。
 もしかしたら、岩沢は頬を膨らましてすねるかもしれない。それはそれで見てみたいのだが……。
 それでも、なにより俺が納得しない。どうにかして、食券を後もう一枚――あわよくば二枚手に入れられられる方法は無いものか。
 模索している俺に、背後からひさ子が追い打ちをかける。
 「どした? まさか食券が無いなんて言うんじゃないだろうな」
 はい。その通りです。それをおおっぴらに宣言するわけにもいかないのだが。
 何か打開策は無いものか……。
 俺はすがるようにあたりを見回してみた。
 俺の危機的状況をあざ笑うかのように、はつらつとした一般生徒たちが、昼飯にありつこうと食堂内のホールに群がる。こういう時NPCは気楽でいいよな、ちくしょうめ。
 その中に、二つ見知った顔を見つけた。
 この際、なりふりかまっていられない。俺はそいつにすがろうとほくそ笑む。
 「ちょっと待ってろ」
 そう言い残してひさ子の元を去ろうとするが、
 「逃げんのかよ、新人」
 ひさ子が俺の首根っこをつかんでそれを制する。
 「違う。ちょっと用事ができただけだ。すぐ戻るからそこで待ってろ」
 「もし逃げたら……分かってるよな?」
 ひさ子は満面の笑みで俺に微笑みかける。
 ええ、分かってますとも。それは俺が一番承知している。
 三人に別れを告げて、見知った二人の元へとかけだした。





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