午前三時だ。
 部屋の壁に掛かっているかわいらしい時計を見ながら、俺は現在時刻を確認する。
 この世界での今の季節が明確には分からないが、この世界にも四季というものが存在するらしく、異常に寒かったり暑かったりするわけではないので、恐らく今は春か秋なのだろう。
 そうすると、日の出はだいたい午前六時前後。後三時間で日の出だ。
 このまま夜通し起きているのもいいが、そうなると朝が辛いので寝ておく方がよさそうだ。二時間でも三時間でも、寝ないよりはマシだ。
 その提案を岩沢に告げると、
 「え、もう寝るの?」
 と、まだ午後九時でもあるかのような口調で平然とそれを否定した。
 もう寝るの? っていわれても、もうすぐ朝になりますよ?
 「そうは言ってもさ、せっかくあんたが私の部屋に来てくれためったにない時なのに、もう寝ちゃうの?」
 「だって、他にやることもないだろ」
 そりゃあ、外に出たりするかテレビゲームでもあれば二人で夜を明かす方法なんていくらでも考えられるが、ここにはテレビゲームもなければマンガ本もなく、こんな時間に外に出ようとも思えないし、そもそも女子寮にいる俺はこの部屋から出ることを許されない。
 「あるよ、まだやってないこと」
 だが、岩沢は平然と答える。
 「なんだよ、まだやってないことって」
 俺が訊き返すと、岩沢は迷いも無く、
 「真夜中に部屋の中で二人でやることといったら、あれしかないでしょ」
 あれ、アレ、ARE……。なんだよ、あれって。
 まさかとは思うが、『あれ』と言われて思春期男子が真っ先に思い浮かべる、あれじゃないだろうな。
 確かに、部屋の中でできるし、どちらかというと昼間よりは夜の方が適している……というかムードが出ると思う。
 だからといって、この音楽狂の岩沢から、その『あれ』が出てくるとは到底思えない。
 とりあえず、俺はその『あれ』について岩沢に詮索してみることにする。
 まず、気になる事といえば一つ。
 「……結構激しいもんなのか?」
 俺の問いに、岩沢はうーん、と唸り、
 「やりかたにもよるけど、白熱してくると結構激しい攻め合いになると思うよ」
 おいおい。俺の予想とほぼ変わりないじゃねぇか。
 だが、それだけではまだ確定にはならないので、次の質問に移ることにする。
 「部屋でやるっていうけどさ、部屋のどこでもできるもんなのかよ」
 俺の問いに、岩沢は部屋をぐるりと見回し、
 「まぁ、あまり物が散乱する場所じゃなければ問題はないだろうけど、寒いならベッドの上でもできるよ」
 いや、むしろ地べたよりベッドの上でやるもんでしょうが。
 聞けば聞くほど、ますます俺の予想を肯定し続ける。
 つーか、マジなのか? そんな重要な事を、まるで今から鬼ごっこでも始めるかのような軽いノリで初めてもいいのか?
 もっと雰囲気というか、シチュエーション的なものが大事なのではないだろうか。
 そもそも、岩沢はやったことがあるのか……?
 「あるよ」
 即答。これには俺も驚いて数センチ後ずさる。
 「そんなに以外だった? むしろ、あんたはやったことないの?」
 さも当たり前のように岩沢が訊き返す。
 何度も言うが、俺には生前の記憶がない。だから、生前に行ってきた行動や経験や知識に関してはほとんど覚えていない。
 もしかしたら生前の俺は、日向と同じように野球やサッカーに打ち込んでいたスポーツ少年だったのかもしれないし、岩沢やひさ子と同じようにバンドマンだったのかもしれないし、はたまた学問で博士号一歩手前の秀才だったのかもしれないし、一般人とはかけ離れた裏社会のヒットマンだったのかもしれない。
 だが、そんな事は今どうでもいい。問題は、生前の俺がどんなやつであろうと、人と人とが密接に交わる『あれ』を行ったことがあるのかどうかだ。
 人には、修練された技術であれば、例え頭で覚えていなくても身体が覚えているということがあるそうだ。一度乗れれば、数年乗っていなくても身体が覚えているのでまた自転車に乗ることができるのもその一つであろう。
 もし、生前の俺が百戦錬磨の男であったのなら、仮に記憶になくても身体が勝手に動いてくれるだろう。
 しかし、今の俺の正確を鑑みるからに、百戦錬磨の男であったとは到底思えない。生前と今で性格が変わっているのなら話は別だが。
 そもそも俺の経験以前に、岩沢の経験談の方が気になる。
 いつ、どこで、誰と? それは生前の話なのか、この世界での話なのか。俺の身の上話なんかより、そっちの方がよっぽど気になってしょうがない。
 仮に、この話題をうやむやにして別れたとしたら、俺は真相を聞くまで気になって夜も眠れない日が続くかもしれない。
 だからこそ、ここで真相を聞いておくべきだ。
 俺は、ごくり、と喉を鳴らし、慎重に岩沢に尋ねる。
 「お前がそれを初めてやった相手って……誰だよ」
 これまでに無い程に岩沢を見つめる。正確には、睨み付けるのに近いかもしれない。
 「えーと、誰だったかな……。それって、そんなに重要なこと?」
 上目遣いで答える岩沢に対し、
 「当たり前だろ」
 強い口調で、そう返してやった。
 ていうか、すでに岩沢の方が百戦錬磨かよ。
 岩沢は俺の真剣な態度を悟ったのか、数年前の事を思い返すかのように考え込む。
 やがて、あぁ、と声を漏らし、
 「ひさ子」
 岩沢はそう答えた。
 「初めての相手が……ひさ子?」
 つーか、女じゃん。
 「そう。確かあの時はひさ子に教えてもらったんだ。結果的にひさ子に上手く丸めこまれたんだけどね」
 そう言って、岩沢が苦笑する。
 要するに、岩沢の初めての相手が同性のひさ子であって、上手く丸め込まれたということは、一方的に攻められ続けたのだろうか。
 なぜだか俺は、相手がひさ子だと知って安心しているのだが、百戦錬磨(らしい)岩沢さんだ。いろんなやつとやったことがあるに違いない。
 たとえば、
 「じゃあ男とも……やったことがあるんだよな?」
 「男……? そういえば無いな。だいたいガルデモ面子でやるのがほとんどだから」
 ひさ子だけじゃなく関根や入江ともやってんのかよ!
 岩沢とどちらかで? それともなんだ、三人? 四人?
 もうわけが分からなくなってきた。というより、俺の中で清楚な岩沢のイメージが、打ち破られたベルリンの壁のごとくガラガラと崩壊していく。
 「だからさ、男の子とやるのはあんたがはじめて」
 岩沢が、じっと俺の顔を見つめる。あまりにまっすぐな瞳に、俺は無意識に目を反らし、俯く。
 「あんた、震えてるけど大丈夫?」
 気がつけば、俺の二の腕はプルプルと小刻みに振動していた。
 無理も無い。これから大人への階段を一歩上るか否かの瀬戸際なのだから。
 岩沢は、そんな俺の顔をのぞき込むように顔を近づけ、
 「――もしかしてあんた、私に負けるのが怖いとか」
 不敵に笑ってみせた。
 こいつ……まさか、俺を挑発してやがるのか。
 「……………………………………ふ、」
 「どうした、おとな――しっ!?」
 岩沢をはねのけるように、俺は勢いよく立ち上がり、

 「いいぜ。やったろうじゃねぇか、岩沢ッ!!」

 びしぃっ! と音が鳴る勢いで岩沢を指さした。
 「なんかよくわかんないけど……自信満々だな」
 俺の剣幕に圧倒された岩沢は、尻餅をつきながら呟く。
 ああ、そうだとも。俺も男だ。どんなことがあろうと、挑発されて怖じ気づいてはいられない。
 岩沢がどれだけ上手いかは知らないが、俺が力と天性の才能――なんてものが備わっているのかどうかは知らんが――でねじ伏せてやる。
 「男は時に、狼にもなるということを教えてやるぜ、岩沢」
 「そう。それは是非見てみたいもんだな。けど、後で負かされても泣くなよ、音無」
 そう言って、岩沢はベッドの端に腰掛ける。
 「……上等ォッ!!!」
 俺は肌着であるワイシャツを、勢いよく脱ぎ捨てた。



 「ダウト! それ、ぜってぇダウト!」
 「残念。クローバーのジャックね」
 岩沢が場に出ているカードを表に裏返す。
 間違い無くそれは、クローバーのジャックであり、このゲームでジャックは十一の数字を表している。
 岩沢の手札はゼロ枚。俺の手札は数えたくないほどに大量。
 よって結果は――、
 「また私の勝ちだけど、なんか質問とかある?」
 ベッドに腰掛けている岩沢が腕を組み、勝ち誇ったように俺を見据える。
 「いや、ぜってぇありえねぇよ。なんでさっきからダウト連発してんのにお前の手札はことごとく宣言通りの数字をあてやがる……。イカサマでもしてんじゃねぇのか!?」
 地べたに座り込んで岩沢に見下ろされている俺は、最後に岩沢が出したクローバーのジャックのカードを手に取り、まじまじと見る。
 表を見ても、裏を見ても、側面を見ても、普通の一枚のカードだ。イカサマなんてされた形跡がない。
 そんな俺を見て、岩沢は「ははは」と軽く笑い、
 「驚くのも無理はないよ。私も初めてひさ子とやった時、何度もこの手を使われて負けたんだから。それよりさ、」
 俺の上体を見据えて、
 「なんで脱いだかしらないけど、服、着たら?」
 俺は渋々と部屋の隅に投げ捨ててあったワイシャツを羽織り直す。
 つーか、お前の言ってた『あれ』ってトランプゲームのことかよ。
 確かに、真夜中に部屋の中で二人でできることだし、白熱すれば激しい攻め合いにもなるだろうし(白熱していたのは俺だけだが)、地べたでもベッドの上でもできることではあるが……。
 「まぎらわしすぎんだろっ!」
 俺は手に持っていたトランプの束を床に叩きつけた。
 「落ち着けよ、音無。どうする、もう一回やる?」
 岩沢がベッドから降りて地べたに座り、トランプを集め始める。
 「いや、やめだ。勝てる気がしねぇ」
 俺は全てを投げ出すように、床に仰向けになって転がった。蛍光灯の光が目に刺さって、わずかに目を細める。
 「なんだ、もう終わりなの」
 「何言ってんだよ。さすがは百戦錬磨の岩沢さんだな。うまく丸め込まれちまった。認めるよ、俺の負けだ」
 「そう卑屈になるなよ。確かにこのダウトっていうゲームは運任せとか先読みの勝負なんだろうけど、仕組みが分かってればどうってことはないよ」
 「……仕組み?」
 耳がぴくりと動くほどに、その言葉に反応し、身体を起こす。
 その正面で、岩沢はトランプを数枚床に並べながら言う。
 「実はな、このゲームには必勝法があるんだ」
 「必勝法……だと……?」
 「そ。ひさ子に教えてもらったんだけど……」
 岩沢は床にトランプを並べ終えると規則正しく一列に整える。
 表向きにされた十三枚のカードは、マークこそ違えど、一を表すエースから十三を表すキングまで各数字が一枚ずつ、順番通りに並べられていた。
 それらを岩沢が提示し、
 「これが、必勝法」
 「……さっぱり分かんねぇんだけど。なに、数人じゃなくて二人でやれば、相手のカードが必然的に分かるから勝てるとか、そういうんじゃないのか?」
 この説明で俺が理解できると思ったのだろうか、岩沢は「違うよ」と一言いい、頭を悩ませ、
 「こう言えば分かるかな。たとえば、ダウトをやるのに適してるプレイ人数、四人でゲームをやったとする。カードを出したりもらったりで最終的に自分の手札が連番の十三枚のみになるまで減らしたとするよ」
 「ふむふむ」
 「で、この状態から一週して、前の人が出したカードがキング、つまり十三だったとすれば、次に自分が出すカードは一を示すエースになるわけだ」
 そりゃあ、それがルールだからな。
 「エースを持ってる私は、正直にエースを出す。そうすれば、ダウトされてもカードが増えることはないからな」
 そんなことは分かる。だから、その後にどうやって勝ちにもっていけるかが問題なんだろうが。
 「そして相手が二、三、四と出していけば、次に私が出すカードは五だ。これも持っているから正直に出す。そうしてそれを繰り返していけば、次に私が出すカードは九、十三、四、八……と三つ飛ばしで出す事になる」
 岩沢は説明しながら、一列に並べられた十三枚の連番カードから、三つ飛ばしでカードを抜いていく。
 だが、回ってきた数字のカードを抜いていっても、次に指定される数字のカードが無くなることはない。
 そうして、馬鹿正直に宣言通りの数字を抜かれていったカードの中から一枚だけ残り、
 「最後に残った、この十のカードを指定されたとおりに出して、アガリだ」
 床からカードが全て無くなった。
 なるほど。つまりは、カードが無くなっていくのは四人プレイであれば三つとばしと規則的に決まっているからこそ、十三枚の連番のカードをそれぞれ一枚ずつもっていれば、確実に上がれるというわけだ。
 もちろん、これが二人プレイであろうと六人プレイであろうと、自分に回ってくる番号の規則性は一定しているので、この方法が有効となるわけだ。
 「ま、実際には確実な必勝法じゃないんだけどね。相手もこの方法を知っていれば、先に上がられるかもしれないし、手札が十三枚に近づく前にダウトされて阻止されることも考えられる。ただ、相手が全員この方法を知らなければ、ほぼ確実に勝てるよ」
 そう言って、岩沢はトランプの束を整えて、ケースの中にしまう。
 岩沢はこの必勝法とやらを知った上で俺に勝負を持ちかけてきたから、要するに俺は、まんまとはめられたってわけだ。
 「そう言うなって。私の知る限りでは、この方法はひさ子と私とあんたしか知らないんだから。だから、誰にも教えるなよ」
 誰にも教えるな、か。要するにそれは二人だけの秘密というやつなのだろうか。
 岩沢は俺に近づき、微笑みながら無言で手を差し出す。
 握られた拳から、小指だけが突き出して俺の方へと向いた。
 「ゆびきり。秘密を守る約束、でしょ?」
 その言葉の響きがやけに懐かしく感じられる。そういえばそんな行為をやったのはいつの話だろうか。少なくとも、この世界に来てからやったことはない。
 俺は、岩沢の細い小指に自分の小指を絡ませる。
 「そっかー。これ交わしたら、約束破った時に針千本飲まなきゃいけないのか」
 どうせこの世界じゃ死なないからいいや。と冗談交じりに考えていると、
 「それじゃあ甘いかもしれないな。どうせならもっとすごいもの飲ませるよ」
 俺の思考を先読みしたかのように、岩沢がそう呟く。
 「何飲ませる気だよ……」
 「そうだな……イグアナとか」
 それはリアルに嫌だ。もちろん針千本飲むのも嫌だが。
 そんなこんなで、岩沢とゆびきりを交わす。
 指をきった時、心に穴が空いたような虚無感を覚えたのはなぜだろうか。



 部屋の壁際に設置されている二段ベッドの上へと、岩沢が上っていく。
 俺は余っている毛布を一枚もらい、机をどかして床で寝ることとなった。
 「じゃ、電気消すぞ」
 俺が立ちながら蛍光灯の紐に手をかける。
 岩沢は布団にくるまり、横になりながら俺の方へと身体を向ける。
 ちょうど立っている俺と、二段ベッドの二階部分の高さが同じくらいになり、岩沢と視線が合う。
 「ね、音無」
 岩沢の甘い声。俺は思わず身体をこわばらせる。
 「久々に面白い夜だったよ。今までもひさ子達と夜明けまで騒いでた事はあるけど、今日はそれ以上に楽しかった。それは私だけなのかな」
 俺も楽しかったさ。こんな夜があるなら、この世界も悪くないと思えるほどにな。
 「前もさ、ゆりが戦線メンバーを集めて夜通しで作戦を行ったことがあったんだ。その時も結局、天使とドンパチやってみんなボロボロになったんだけど、バカみたいに笑い合ってた。でも、あの時、あの場所にはあんたはいなかった……。だからさ、」
 そこで岩沢は言葉を切る。
 岩沢は何を望んでいるのか、何を言いたいのか。
 言葉が無くても通じ合えるなんて魔法みたいなことがあるわけないのだが、今だけは、岩沢の言いたいことが分かる気がする。
 だから、俺は、
 「今度、また戦線メンバーを集めて夜通しミッションやろうぜ。ゆりには俺が説得しといてやるからさ。そん時は、さっきの女子寮潜入作戦よりも派手で、緊張感のあるミッションだ。天使にケンカ売って命がけのミッションにしてもいいかもな。もしお前が陽動部隊としてライブやるってんなら、俺がお前らを守りながらカスタネットでも叩いて盛り上げてやるよ」
 岩沢の頭をそっと撫でる。
 くすぐったそうに、岩沢が笑い、俺を見つめて、
 「おやすみ、音無」
 そう告げて、ゆっくりと瞳を閉じた。
 「……おやすみ、岩沢」
 もう一度岩沢の寝顔を確認して、俺は蛍光灯の紐を引いて灯りを消した。





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