ガールズデッドモンスターは、元は二人だけのバンドだったという。
 正確には、二人だけの時はまだバンドとして機能しておらず、岩沢とひさ子がジャムセッションをするだけの間柄だったらしい。
 二人だけで陽動ライブをやらされた時は、岩沢がボーカルとギターを務め、ひさ子がベースを弾き、ドラムは打ち込みで作られた音源を流し、それと同期をとって演奏されていた。曲もほとんどがカバーだった。
 その後、ベーシストの関根とドラムスの入江が加入し、ガールズデッドモンスターが発足した。その時にガールデッドモンスターという名前を関根が決めたということは、ファンの中では意外と知られていない事実のようだ。
 ガールズデッドモンスター、略してガルデモ。
 そのガルデモが結成されてから初めてのライブの日。打ち上げの時に、ガルデモ出発の記念にと一枚の写真が撮られた。
 四人が肩を組み、これからの輝かしい未来と、希望に満ちあふれた四人のその顔は、今になっても変わる事はないだろう。
 「懐かしいな……。もう何年前の話だっけ」
 感慨に浸りながら、岩沢は自室の卓上に飾られている、写真立てを手に取る。
 俺も岩沢の背後に立ち、肩越しからそれをのぞき込んでみた。
 わずかに空いている部屋の窓から夜風が舞い込み、岩沢の髪をかすかに揺らすと、その匂いが俺の鼻腔へと舞い込んで来て、少し照れくさい気分になる。
 「この写真が現像された時にね、真っ先に驚いたのはひさ子。ほら、ここから右手が出てるでしょ」
 写真立てに納められている一枚の写真には、左から入江、岩沢、ひさ子、関根の順に並んでおり、ひさ子の右肩からは、まるで心霊写真を思わせるように、不自然に右手だけが生えており、それがピースサインを示している。
 位置的にも、こんな小学生レベルのいたずらを講ずることからして、ひさ子と岩沢の間から伸びている右手の主は関根だろう。
 こいつはこの頃からいたずらっ子だったのか。
 「最初はさ、関根も入江もまだ控えめで、あまり私たちと溶け込めて無かったんだよ。まぁ入江は想像がつくかもしれないけど、あの関根だって最初ははい、とかそうですね、くらいしか言わなかったんだから」
 「あの関根がか?」
 「そう。あの関根が」
 ガルデモで一番のやんちゃっぷりを発揮する、いたずらっ子の関根にも、そういう時期があったのか。
 まぁ、この威厳のある二人を前にすれば、誰だってそうなるよな。俺も初めて岩沢と話したときは、さん付けで呼んでたし。
 今となっては懐かしくもあり、この天然音楽狂少女に対してさん付けをするなんてばかばかしくもあるが。
 「でも、初めてのライブの時、それが緩和されたような気がしたんだ。百万遍の言葉にも勝る何かが私たちの中で通じ合った気がした。ライブが終わった頃には、私たちの間にあった壁もほとんど無くなっていて、旧友のように笑いあったよ」
 遠い目をして、岩沢が顔を上げる。俺もその先へと視線を走らせてみるが、真っ白な壁以外に何もない。岩沢にはそこに昔の光景が見えているんだろうが。
 しばらくして、岩沢は再び手中の写真に視線を戻す。
 「その時に撮られた写真がこれだよ。これが現像された時に、私たちの間から伸びる手が関根のものだってことをひさ子はすぐ気付いて、あんたが知っているいつも通りの光景と同じように、ひさ子が関根を絞め上げた。でも私と入江はそれをみて目を丸くしたよ。だってさ、これが関根がガルデモでする初めてのいたずらで、初めてのひさ子のこらしめでもあったんだから。それ以降は、その光景が当たり前になっていったんだけど」
 遠い日の思い出に身を馳せる岩沢の悲壮的な表情を見て、俺は思わず視線をつま先の方へと向けた。
 俺の知らないガルデモ。俺の知らない岩沢達の日常。当たり前のことだけど、そんな光景があったんだ。
 俺ももっと早くこの世界に来ていれば……。初期メンバーである日向や大山や野田がうらやましく感じる。
 そんな俺の心情を悟ったのか、岩沢は俺の方へと向き帰り、だからさ、と付け加え、
 「この写真は私たちのはじまりの光景なんだ。端からみれば今の変わらないような光景に見えるけど、私たちにとっては思い出の一枚なんだ。それ以来、何度か写真を撮る機会もあったけど、見返す度に、どれもみんな楽しい思い出だよ」
 はじまりの光景……か。もし、俺と岩沢にそんな時があったら、それはいつのことだろうか。
 思い当たるのは、初めてのあの夜。岩沢に連れられて、食堂で一緒に飯をとって、ガルデモの練習に参加した、あの夜のことだろうか。
 物思いにふけっている俺の前で、岩沢は写真立てを机に置き、俺と視線を合わせ、
 「私たちも写真撮ってみる?」
 そう提案した。
 岩沢とどころか、この世界に来て写真を撮るなんて行為をするのは初めてだ。
 もし、今ここで岩沢と写真をとったのなら、彼女と俺の初めての光景というのが今日になるのだろうか。
 でもガルデモは、結成された時が始まりではなく、初めてのライブで意気投合した日が始まりだと言った。
 じゃあ俺達はどうだ。確かに、岩沢と初めて出会った時よりは打ち解けている気はする。一応、今日は初めて岩沢の部屋に入った日でもあるからな。
 だから、今日が始まりなのだろうか。ガルデモのように、意気投合したのが今日だというのだろうか。
 もしそうなのだとしたら、俺は−−、
 「いや、やめておくよ」
 そう言って岩沢の提案を断った。
 なぜかって? そんなの簡単だ。だって、俺達はまだ始まってすらいないんだから。
 岩沢はどう思ってるかは分からないが、俺はまだこいつに思いを伝えていない。そんな中途半端な状態で始まりの時だなんて滑稽だ。
 もし、岩沢と写真を撮る機会があったのなら、その時は俺が思いを伝えて、岩沢がそれを受け入れてくれた時だ。
 そんな時がいつかはくるのだろうか。
 陰り無く微笑む岩沢の顔を見据える。
 俺の考えなんて微塵も察していない、天然思考を顔に表して、岩沢は「なんで?」とつぶやき、わずかに首をかしげた。
 いや、そんな時は永遠に来ないかもしれないな。




第四話 一夜限りのルームメイト 後編




 岩沢にユイを紹介したり、男同士で風呂に入ったり、岩沢と一緒に女子寮潜入ミッションをしたり、初めて入った岩沢の部屋でくだらない雑談を交えながら悩み事を聞いたりと、大忙しだった一日はいつの間にか終わりを告げており、俺がふと岩沢の部屋の卓上に置かれている時計を見た時には、すでに日付をまたいでから一時間ほどたっているような時間帯だった。
 思えば、この世界に来てからこんなに夜更かしするのも久しぶりだ。俺には生前の記憶がないから、その時はどうだったかは知らないが、この世界には適当にふらついて暇をつぶせるような夜遊びが充実した街もなければ、ゲームやインターネットも無い。一緒に夜を明かす友人でもいなければ、朝方どころか日付を超える時間帯まで起きていることもままならないほど、やることがないのだ。この死語の世界という所は。
 そして俺は今、その死語の世界で、とある女の子と二人っきりで部屋にいる。端から見れば、俗に言う不純異性交遊というやつなのかもしれないが、俺にはそういう気は無い。いたって健全な男子生徒だが、女の子に誘われて部屋に招待されたからって、唐突に狼に変貌する性質を俺は持ち合わせていない。そう、信じたい。
 まぁ、誘われたりしたら、やってみてもいいかもな……。
 なんて事を考えながら、横目で岩沢を見やると、やや肌寒くなってきた夜更けの気温を肌で感じた岩沢が、ホットココアを入れてやるといって台所に立っていたのだが、ちょうどそれを淹れ終えて戻ってきたところだった。
 お盆の上に水色のマグカップと白いマグカップを載せて、岩沢は円形の座卓の上にそれを置き、白いマグカップを俺の方へと差し、水色のマグカップを自分のところに置いた。
 岩沢が座り、座卓の上の水色のマグカップに口をつける。俺もそれに合わせて、白い湯気がもうもうと湧き出るココアを、火傷しないように口に注いだ。
 「――あまい」
 「でしょ」
 岩沢が得意げに言う。
 「実はそれ、隠し味があるんだ。さて、なんでしょう」
 岩沢は満面の笑みを俺に浴びせて、回答を待ち構える。俺はうーむと唸り、視線を天井に向けて考え始める。熱いココアからほんのりと湧き出てくる甘み。その正体は、
 「……タバスコ」
 「私がそんないじわるするように見える?」
 岩沢は眉根を寄せて、俺を睨み付ける。
 「冗談だよ。わかんね。答えは?」
 「正解は、これ」
 そう言って、岩沢が座卓の下から、銀伯の包装紙に包まれた開封済みの板チョコを取り出して机の上に置いた。左側一列だけが無くなっている。
 「板チョコを一切れ……もいらないかな。少しココアの中に入れてやると、ほんのりと甘みが出てきておいしくなるんだ。チョコの甘みが冷えた身体をいっそう温めてくれるとか、なんとか」
 岩沢は、板チョコを一列折り、そこから一切れだけを手にとって口に放り入れる。
 「あ、もしかして甘いの嫌いだった?」
 「いや、んなことは無いけどさ……それ、食っていいのか?」
 俺の返答に対して、岩沢は怪訝な顔色を浮かべ、
 「あんた、記憶がなくなったって聞いてたけど、まさかチョコレートのことも忘れちゃったのか。そっか、そっか。これはカカオっていう実を原料としたもので、そこに砂糖とか粉乳を混ぜ合わせて甘くしたお菓子なんだ。だから食べても大丈夫だし、世間一般的に普及してるお菓子だから、別に高級品ってわけでもない。あ、もちろん高級なチョコレート菓子ってのもあるんだけど、これはただの板チョコだから、全然安物だよ。ちなみに、チョコレートにも色々種類があって、ビターな物からホワイトチョコレートっていう白いものまで、」
 「いやいや、そうじゃなくて」
 そんなことくらい俺だって知っている。生前の記憶が無いのは確かだが、世間一般的な常識までは欠落していないから、チョコも分かればビスケットも分かるし、日常的作法や礼儀だってちゃんと把握している。生い立ちに関する記憶が無い事を除けば、俺の頭脳は一般人となんら変わりないはずだ。俺が言いたいのはそういうことではない。
 岩沢の手中から二列ほど無くなっている板チョコを抜き取り、銀紙に包装されたそれを裏返して岩沢に見せてやる。
 そこには、黒色のマーカーで殴り書きされた『ひさこ』の三文字があった。
 「……あ」
 岩沢は硬直して、思わず間抜けな声を漏らす。やがて、「そっかー。まいったな」なんて事を言いながら、苦笑いをして頭をかいた。
 後に、岩沢がひさ子から大目玉を食らう様子が目に浮かぶ。
 「でもさ、このココアにもこの板チョコが入ってるんだよ? ね、音無」
 「お前……まさかっ!?」
 俺も共犯者ってわけかよ。後で食べようと取っておいた菓子を食べられて憤然としたひさ子が、岩沢と俺を前にしたら、間違い無く俺の方に矛先が向くだろう。
 そんなことを気にもとめずに、岩沢は笑顔を浮かべて、
 「ま、後で買っておけば大丈夫だよ。ほら、音無。半分こ」
 そう言って、岩沢が板チョコを半分に割り、俺に差し出す。苦笑いしながら、その半分を受け取っておいた。



 「じゃあ、今度は音無の番ね」
 人肌ほどにぬるくなってきたホットココアを飲みながら、岩沢が俺に話を振る。
 俺の番、と言われても、俺はこれから何をすればいいんだ。飲んでいるものがココアということで、死語の世界をテーマにしたブラックジョークでもかませと俺に申しているのか。
 「さっきは、私の悩み事を聞いてもらったでしょ? だから今度は、あんたの番」
 岩沢は人差し指で、びしっと俺を指し示す。
 なるほどな。だが、
 「今の俺にさしあたって悩みなんてないんだけど」
 何度も言うが、俺には生前の記憶がなく、今の生活も特に不自由がなく、唐突に悩み事を言えなんて言われても思い浮かばない。岩沢の様に、自称今を生きるロッカーのようなやつや、癖物揃いというか、アホばかりの戦線メンバーをまとめ上げているゆりとは違って、俺はただこの世界で、延々と普遍の時を過ごしているだけの男だ。そんな世界で悩み事があるやつこそ、ある意味充実している幸せ者だと言えるだろう。
 そういうわけで、平々凡々な今の俺に悩み事なんてない。
 「なんでもいいよ。私がガルデモの事について悩んでいるようにさ、あんただって人間関係や今の生活に少なからず悩みを抱えているんじゃないの? どんな些細なことでもいいからさ」
 岩沢はそう言って、催促するが、どうしたものか……。
 生活上の些細な悩み? この閉鎖された世界で、人口の八割以上がNPCという人間ではないもので覆い尽くされている、この世界で生活している上での悩み事と言ったら……。
 「焼きそばを食べると、決まって前歯に青のりがついてしまうんですけど、どうにかなりませんかね?」
 うん。もの凄く些細だが、とても重要な悩み事だ。俺だけでなく、日本人のほとんどが悩まされる事じゃないだろうか。
 岩沢はうーん、と眉根をゆがめて、首をかしげ、
 「歯磨きすればいいんじゃない?」
 「うん。そうだな。ありがとな」
 問題解決。俺はココアをすすって一息つく。
 「え、それで終わり?」
 きょとんとした表情で岩沢が尋ねる。お前は俺に何を求めているんだ。
 「いや、もっと重い話とか、無くなった記憶の事とか、この世界についての仕組みだとか、天使の事だとか、そういうスケールのでかい悩み事が来ると思ってたんだけど。あまりにも小さい事だったから、拍子抜けしちゃって」
 「お前な。焼きそばの青のりが歯に付く事は、かなりの死活問題だぞ。仮にだ、もし食堂を出てきてたひさ子の前歯に青のりが付いてたらお前はどうすんだ」
 「どうするって……取ってあげるけど」
 岩沢は平然と答える。まぁ、ひさ子の様な間柄だったら可能かもしれないけどな。
 「じゃあ、それがゆりや遊佐だったら?」
 「ついてるよ、って教えてあげるけど」
 さも当たり前の様に岩沢は返答する。こいつ、怖い物知らずか。
 普通の神経を持っていれば、『やべ、こいつ歯に青のりついてるよ。教えてやったほうがいいのかな。だけど、変に相手の気に障ると嫌だし、ここは見なかったふりをしたほうがいいか。でも、このまま放っておくと、さらに目撃者が増え、被害が拡大しかねない。マジでどうしよう』なんて事を考えるだろうが、この調子だと岩沢は、相手が日向だろうと、野田であろうと、TKだろうと、松下五段だろうと、平然と教えてやるのだろう。
 そんなやつに悩み事を相談するなんて馬鹿げている気もするが。
 「他にないの? もっとこうさ……真剣な悩みとか」
 座卓に乗り上げんばかりの勢いで、岩沢は俺の顔を見据える。あまりにも真剣なその眼差しに、俺は無意識に視線を反らせて、腿の上に置かれた自分の右手を見る。
 「つうかさ、なんでそんなに俺の悩みを聞きたいんだよ。別に――俺になにがあったってお前には関係ないことだろ」
 右手を握りしめる。言ってはいけないことを言ってしまったと思う。けど、事実ではある。結局は俺も岩沢も、他人同士なのだから。
 言葉は返ってこない。ただ静寂だけが部屋を包み、俺は岩沢の顔を見られないまま、つっぷして、後悔に駆られて震えている右拳を見つめ続ける。
 そこへ、温かなぬくもりと共に、二つの手が俺の右拳を包み込んだ。
 はっ、として顔を上げる。そこには穏やかな表情で俺を見つめる、岩沢の姿があった。
 「関係――なくなんかないよ。私はあんたに色々と世話になってるんだ。だからさ、私も何か、あんたの役に立ちたいと思ってるんだよ。私にはこういう不器用な事しかできないけど、あんたの助けになる事をしたいと思う。それじゃ、だめ?」
 「だめなんかじゃ……ねぇけど」
 俺は照れくさくなって、空いた左手で鼻先をかいた。
 岩沢も俺の右手から手を放し、座り直すと、気を取り直したかのように笑って、
 「じゃあ私から質問していい?」
 「どうぞ。もう好きにしてくれ」
 俺は適当にそう答えて、呆れながら、ぬるくなったココアを口に含む。やっぱりホットココアは熱々の方がおいしいな。
 そんな俺をよそに、岩沢は手を顎に当てて、うんうんと考え始める。やがて、じゃあ、と一言いい、頬をわずかに赤くして、

 「あんたさ――好きな人っている?」

 ぶふぉっ! と勢いよくココアを吹き出した。
 「うわっ! タオル、タオル……」
 岩沢が慌ててタオルを探しに走る。
 いきなりなんてことを聞きやがるんだ、この野郎。
 口から吹き出たココアは俺の腿にかかり、ぬるいどころか冷たささえ感じる。けっこうな量が吹き出たと思うが、床のカーペットにこぼれていなかったのは幸いだ。無論、机の上はココアまみれだが。
 岩沢がタオルを持って走ってくる。
 「あんた、ズボンびしょ濡れじゃん。なんか換えのズボン持ってこようか?」
 言いながら、岩沢が俺の腿をタオルで拭こうとする。
 「わっ、たっ……! ちょっと待った!」
 本能的に、岩沢の手からタオルを奪い取った。
 「お、俺の方はいいから、お前は机の上をどうにかしてくれ」
 「そう? わかった」
 俺の反応を見て怪訝な顔をした岩沢だが、あまり深く考えるのを止めたらしく、他のタオルで机の上を吹き始めた。
 一応俺だって男だ。岩沢のような女に、股間の近くに手を伸ばされたら、恥ずかしさのあまり抵抗したい気にもなる。岩沢の方は、やはり鈍感なのか、そういうのは気にしないらしい。それとも、ただ俺がウブなだけなのだろうか。
 そんな事を考えている間に、俺の吐瀉物の処理が終わったらしく、岩沢は再び俺の正面へと腰を落ち着ける。
 「で、あんたって今、好きな人っているの?」
 再び、同じ質問が出された。修学旅行の夜かっつーの。
 そもそも、気になってる女の子から恋愛話を持ち出されるって、まるでベタベタのラブコメマンガのようだ。
 この局面で、『まぁ、強いていうなら……目の前にいるお前かな』なんてキザなセリフが言えたら、どれだけ楽だろう。だが、俺だって繊細な心を持ち合わせている健全な一男子生徒だ。もっとも、日向あたりなら軽々しく言えそうな気もするが。
 「……いない」
 だから俺は、こう答えるしか無かった。
 「本当に? 同じ戦線の仲間でも、ゆりとか、椎名とか、かわいい子はいっぱいいるでしょ。好きとかっていうんじゃなくても、気になってる女の子とかいないの?」
 「ああ。いない」
 即答。ここで誰それと適当に答えておくと、後が面倒くさそうだ。
 「じゃあ、お前はそういう相手がいるのかよ」
 だから、矛先を岩沢に変えてやる。
 「私? 私は……どうだろう」
 俺とは違って、不明瞭な答えを返す。
 「お、なんだ。お前はいるのか? 誰なんだよ。誰にも言わないから言ってみろって」
 半ば強引にせかしにかかる。話題を変えるために振ってみたのだが、岩沢にそういう相手がいるとなると、気になるところだ。
 「いや、私は別に……。そうだな……強いて言うなら、音楽が恋人みたいなもんかな」
 結局そっちかよ。まぁ、どうせこんな回答しか返ってこないとは思っていたが。
 ため息をつく俺に、岩沢は取り乱し、
 「わ、私の事はどうでもいいんだよ。今はあんたの事。あんたの好きな人は誰かって話をしてたんだから」
 「だから、いないって言ってんだろ」
 「だめ。明確な名前があがるまでは、追求するよ」
 頑なにねばる岩沢。なんかやけになってないか、こいつ。
 「じゃあお前が当ててみろ。正解が出たら、今すぐにでもそいつに告白してやるよ」
 「今すぐって……あんた、今何時だと思ってる?」
 「俺は嘘はいわねぇ。もしお前が当てられたら、何時であろうと、そいつの部屋に行って、たたき起こしてでも告白してやる」
 実際に不可能じゃないからな。どうせ、その相手を岩沢が答えられるはずはない。
 「いいね。あんたのそういう男っぽいところ、好きだよ」
 「ただし、回答は三回までです」
 「……前言撤回」
 ぶすっ、とむくれる岩沢だが、制限を設けておかないと、朝まで追求されそうな気がする。
 岩沢は「うーん、そうだな……」なんて言いながら、思案をめぐらせる。
 やがて、開口一番、
 「日向」
 「違う!」
 机をばん! と叩き、反論する。岩沢はすこし驚いたようで、わずかに身を後ろへ仰け反らせている。
 つーか、なんでそいつが出てくる。
 「いや、だってさ。ほら、あんた達ってすこぶる仲がいいじゃない。それこそ、もう旧友のようにさ。だから、あんた達に友情以上のものが生まれてもおかしくないんじゃないかな、って思って」
 「あれは、あいつが一方的に来るだけだ。そもそも、俺にそっちの気はない」
 「そうなの?」
 「そうだよ、はずれ。はい、次」
 せかすように話を進める。
 今度は、岩沢は考えること無く、
 「じゃあ、野田かな」
 「違う」
 また男かよ。ていうか、なんでお前は躊躇なくそう答えられるんだ。
 「ほら、あんた達ってライバルみたいなものでしょ? だから、あんた達が切磋琢磨している間に、ライバル以上の関係になってるかと思って」
 「なってねーし、あいつが勝手にライバル視しているだけであって、俺には関係無い。そもそも、さっきも言ったが俺にそっちの気はない」
 「そっかー……。自信あったんだけどな」
 その自信はどこから来てるんだ。俺に懇切丁寧に説明していただきたい。
 「ほら、ラスト一回な」
 人差し指を突き出して、岩沢に提示してやる。
 岩沢は眉根をよせて、腕を組み、うんうんと唸る。やがて、答えを導き出したのか、霧が明けたような爽快な表情を浮かべ、
 「斉藤」
 「誰だよ」
 一般生徒か? 男か女かの判別すらつかない。
 「ゲームオーバーな。まぁ、また三年後くらいに挑戦してくれ」
 「ボーナスポイントとかは……」
 「ない。そもそも、正解のないクイズなんて何度やっても、意味ないぞ」
 「……あんた、もしかして私の事からかってる?」
 最初からいないって言ってるじゃん。実際には、それも嘘なのだけど。
 岩沢は「なーんだ」と言いながら、つまらなさそうに床に倒れ込む。四肢を広げて仰向けになった岩沢は、天井を見ながら、冗談交じりに、
 「――あ、もしかして、私の事が好きだったとか?」
 半ば俺をからかうようにして、岩沢が笑いながら言う。もちろん、こいつのこの言葉に真意が無いことは分かっている。
 斉藤の前にその言葉を発していたら、俺は明確な回答を返してやったところだが、残念。既にチャレンジは終わっている。
 だから俺も、岩沢と同様に、冗談交じりで笑いながら言ってやる。
 「大好き。世界中の誰よりも愛してる」





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