「−−今晩、私の部屋に来ないか?」
 月明かりに照らされた屋上で、岩沢が問いかける。
 そのまっすぐな瞳からは、有無を言わせないほどの説得力が感じられ、返答に迷う。
 消灯時間はとうに過ぎており、さらに例外とも言える学園の敷地内すべてが消灯してしまうほどの大規模停電だ。この状況に追い込まれたなら、どんな行動をとったとしても、返って言い訳がつくだろう。
 それこそ、一男子が女子寮に侵入するどころか、その寮部屋に泊まって女子学生と一晩を共にするという行動さえも。
 だが、それでもなお、俺の中にある良心が、その一線は越えてはいけないと俺を叱りつける。それに反発するように、俺の欲望が良心を言いくるめるように叫ぶ。
 健全な男子なのだから、それくらい許してやってもいいだろう、と。
 それに対して良心は、いやだめだ。お前が岩沢を大事に思っているのならこそ、そういう不純異性交遊に繋がる行為は控えたほうがいい。というか俺が許さん。と反論する。
 まさに今、俺の中で良心である天使と欲望である悪魔が戦っている。一線を画した天下分け目の大決戦とも言うべきだろう。どちらかが押すことも引くこともなく、両者は均衡を保っている。
 俺は、どうするべきだろうか……。誰かが近くにいたら、例えそいつが見ず知らずのNPCだとしても、どうするべきか相談してしまいたいほどに迷っている。もう人で無くてもいい、いっその事、そこらへんにいる猫でもいいから、俺ににゃあ、と助言してほしい。
 「どうした音無、顔色が悪いぞ」
 俺の優柔不断を見かねてか、岩沢が心配そうな面持ちで俺の顔をのぞき込む。
 どうやら俺は、顔色が悪くなるほどに迷っているようだ。
 岩沢に、俺は問いかける。
 「なぁ……猫、いねぇかな……」
 「え、猫……? どうしたんだ、突然」
 あまりの方向性の無い質問に、岩沢は困惑する。
 質問を投げかけた俺も、ようやく質問に脈絡がないことに気付き、頭を振って迷いを振り払い、岩沢に向き直った。
 「そもそもだ、寮内の廊下はこの大規模停電で混乱した生徒達で溢れかえってるって言ったのはお前だろ。その中を、どうやってお前の部屋までたどり着くつもりだ」
 我ながら正論だと思う、さっきまで訳の分からない事を考えていたさっきの俺とは別人のようだ。
 その質問に対して、岩沢は、
 「ま、なんとかでしょ」
 何を根拠に言ったのか分からないが、子どもの様に楽しげに笑ってみせた。
 「それに、友達が自分の部屋に来て欲しいって誘っているのに、断る理由はあるのか?」
 岩沢がそう投げかける。
 確かに、よほどの用事が無い限り、仲の良い友達に誘われて、それを断る事はないと思うが……。
 「それと同じだよ。私が来てほしいから誘ってるんだ。それじゃだめ?」
 岩沢の無垢な瞳に見つめられて、思わずたじろいでしまう。
 そうだ、岩沢が来て欲しいっていうんなら、それでいいじゃねぇか。十分な理由じゃねぇか。理屈なんてどうでもいい。ここで断ったら、それこそ岩沢を悲しませることになるぞ。
 俺の思想を代弁するように、脳内の欲望である悪魔がそう囁いていた。
 良心である天使は、あまりの説得力に押し黙ってしまう。やがてゆっくりと口を開き、
 そうだな。じゃあ岩沢の部屋に行こうぜ。不純異性交遊?そんなの関係ねぇ、やっちまえ。ほら、岩沢の気が変わる前にさっさと行こうぜ。よっしゃあ、オペレーションスタート!!
 ものすごくハイテンションで悪魔に肩入れしていた!
 こうなれば、もうどうにでもなれ、だ。
 「……分かった。じゃあ今晩、お前の部屋に行かせてもらうよ」
 脳内が欲望の塊となった俺の口から、そう言葉が発せられた。
 「そうこなくっちゃな。じゃあ停電が復旧する前に、さっさと行くよっ」
 猪突猛進の勢いで、岩沢が歩き始める。
 「ちょっと待てって! ほんと、あいつに振り回されっぱなしだな、俺は……」
 別にあいつの行動力にとやかく言うつもりはないが、女に振り回されっぱなしって、男としてどうなのだろうか。
 そんな事を考えながら、寮内の暗中へと続く屋上の出口へと、俺はかけだした。




第三話 一夜限りのルームメイト 前編




 案の定、階下へと降りると、廊下中に人だかりができており、そこは人の波と化していた。
 なぜこんなにも人が密集しているのかというと、それほどにこの世界での停電は稀なことだからだ。
 永久不変のこの世界では、電力供給に異常をきたす停電自体があり得ないことだ。
 そうとう大規模な事故や重大な不具合が起こったか、あるいは誰かが意図的にそう仕向けなければ、まず起こる事はないだろう。
 何が原因か今は分からないが、停電は、この世界で数年に一回しか起こらない程度の出来事のため、こうして一般生徒たちが混乱し、人波を作っているのだ。
 ただ、一言で人波と言っても、廊下側の窓が月光が指す方向とは逆の方位に位置しているため、ただ人影がうごめいている事しか分からず、一メートル以内に近づかなければ顔を伺うこともできない。
 かろうじて灯っている明かりといえば、こういった停電にも対応できるように予備電源を有している非常口の誘導灯と火災報知器の表示灯、それに数名の生徒達が足下を照らしている懐中電灯くらいだ。
 そんな状況も、今の俺にとっては好都合のように思える。
 これならば、誰か知り合いにでも会わない限り、混乱に乗じて、姿勢を低くして壁際を伝っていけばどうにかなりそうだ。
 岩沢の部屋は屋上から四つ下りた階にあるらしく、こんな事を後三回もやらなければならないのかと思うと、気が重くなる。
 ヘマをしなければそう問題のないミッションだが、一番気をつけなければならない事は、生徒達が持っている懐中電灯で照らされてしまうことだ。身体の一部分ならまだしも、顔を照らされでもしたら目も当てられない。
 NPCだって魂が無いとはいえ、普通の人間とそう変わりはしない。だから、この状況で俺が男子生徒だとバレてしまったら、確実に騒ぎとなり俺は捕らえられるだろう。
 噂になったり教師にしょっぴかれるだけならまだいい。そのまま生徒会長である天使の元へと連行されでもしたら、それこそ一巻の終わりだ。
 ある意味、命がけのミッションと言ってもいいだろう。
 そういう緊張で胸が高まる反面、この緊張感を楽しんでいる気持ちも比例してわき上がってくる。
 自分の意外な一面に気付きながら歩を進めていると、俺の一歩前を歩いている岩沢が急に立ち止まった。
 ただでさえこの暗闇の中に急に止まられたものだから、岩沢の背中に鼻の頭を強く打ち付けた。人体の柔らかさがあるといえど、涙目になるほど痛い。
 岩沢に小声で文句を言おうとした時、
 「あ、岩沢せんぱーいっ!」
 聞き覚えのある声が、岩沢を呼んだ。それと同時に、その声の主がこちらへと近づいてくる。
 「岩沢先輩、探しましたよ。どこに行ってたんですか? 部屋にもいなかったし……」
 この状況をものともせずに、元気な振る舞いで歩み寄ってきた女生徒は、関根だった。
 まさかよりにもよって、知り合いに遭遇するという一番やっかいなイベントが発生するとは思わなかった。しかもあの関根だ。もし俺がいることがバレたら、事情を知る知らないに関わらず確実に軽蔑されることだろう。下手したら、明日にはSSSメンバー全員に広まっているかもしれない。
 さすがに、こいつにバレるわけにはいかず、俺は岩沢の背後に身をかがめて隠れた。
 「ああ、ちょっとね……それより、この停電はなに?」
 「いや、あたしも分かんないです。みゆきちと一緒に部屋でオセロをやってたら、急に部屋が暗くなって……何事かと廊下に出てきたら、他の生徒達が停電だって騒いでたんですよ。どうやら、男子寮でも停電してるようですね」
 なるほど。屋上にいた俺達は、全敷地内が停電したことを知っているが、寮内にいた一般生徒達はそれを知らないらしい。女子寮の隣に位置する男子寮も全ての灯りが消えているとなれば、男子寮も停電したと見る事ができるが、さすがに学園内の街頭や掲示板の照明までもが消えている事は確認のしようがないだろう。
 「ま、停電の混乱に乗じてオセロの盤上に細工できたからいいんですけどね。四隅どころか、半分以上の石を白に変えてきたし。これで明日の目玉メニューである煮込みハンバーグセットはあたしのものですよっ」
 「……しおりん、聞こえてるよ」
 背後からの予期せぬ声に、思わず関根が飛び退く。
 その背後から現れたのは、何かに怯えるように身を震わせている入江だった。
 「わ、みゆきちいたの?」
 「ひどいよ、しおりん……なんで私を置いて先に行っちゃうの……? 私が怖いの苦手なの知ってるでしょ……?」
 再び、入江が関根にしがみつく。
 そういえば、前に岩沢から、入江は幽霊が苦手だと聞いたことがある。幽霊が嫌いなだけならまだしも、暗闇も苦手なのだろうか。
 バンドでは、あのガルデモの軸となるほどの堂々としたドラムプレイを見せている彼女からは想像できないほどの恐がり様だ。
 「なんか停電ってわくわくしますよね。あたしのいたずら心がうずきますよ」
 誰も住み着いていない空き屋に忍び込んで、ここを自分たちの秘密基地にしようと提案する小学生のガキ大将のように、関根が楽しげに思案する。
 こいつは何をやらかすつもりだろうか。
 「わくわくなんてしないよぅ……だって、真っ暗闇だよ? いつ何が出てきてもおかしくないよ……」
 「うん、幽霊とかね」
 「ひぃんっ! 変なこと言わないでよ、しおりんっ」
 今にも泣き出しそうな震えた声で、入江が関根に訴えかける。
 既に死んでいる俺達が幽霊みたいなものなのに、それでもなお幽霊を怖がるというのはおかしな話だと思う。
 「とりあえずさ、早く部屋に戻ろうよ……本当に幽霊が出そうだよ……」
 「いや、だってもうみゆきちの後ろに……」
 「え……?」
 入江が硬直し、言葉を失う。
 後ろを振り返ろうとするが、恐怖のあまりそれを行動に移すことができず、一層強く関根にしがみつく。
 「ね、ねぇしおりん……私の後ろに、何がいるの……?」
 「………」
 関根は何も言わず、瞳を閉じて緊張の面持ちになる。そして、
 「……ところで岩沢先輩、前の練習の時の話なんですけどー、」
 「ねぇしおりんっ? 私の後ろに何がいるの!? ねぇってばっ!」
 恐怖のあまり、ついに入江がしゃくりを上げて関根の胴回りに抱きついた。
 それを見て関根が腹を抱えて大笑いをしている。
 「こら関根、あんまり入江をいじめるなよ」
 度が過ぎるいたずらに対して、それを咎めるように岩沢が軽く関根の頭を叩いた。
 だが、こんな事をしていても二人の中がこじれる事がないのだから、この程度のいたずらは日常茶飯事なのだろう。
 「あはは、冗談ですって。そんなことより、岩沢先輩はこのまま部屋に戻るんですか? てかひさ子先輩は?」
 入江をなだめながら、関根が岩沢に対して訊く。
 「ああ、これと言ってやることは無いから。停電も放っておけば復旧するでしょ。それと、ひさ子は今日は帰ってこないってさ」
 俺がいる手前、停電が復旧する前に部屋に戻りたいと考えているのは岩沢も同じだろう。こいつらとあまり長話をしていると、部屋にたどり着く前に廊下の照明が灯り、俺の姿が白日の下にさらされかねない。
 岩沢は、あまり自分から話しを切り上げるのが得意では無さそうだし、仮に切り上げてこの場を納めたとしても、関根と入江の二人に見送られている状態では、暗闇の中といえど、岩沢に隠れたまま移動することなどできそうにもない。
 どうにかしてこの場を納める手立てはないものか。
 「え、ひさ子先輩なにかあったんですか?」
 「いや、ただ男子寮に遊びに行くとしか聞いてないけど、まぁひさ子なら停電くらい大丈夫でしょ」
 「そうですね。ひさ子先輩、おっぱいでかいから大丈夫ですよねっ」
 「うん……? まぁ胸がどうかは分かんないけど、心配すること無いと思うよ」
 何が大丈夫なのかさっぱり分からないが、この会話をひさ子が聞いていたら、間違いなく関根はしょっぴかれているだろう。
 岩沢も、関根の電波っぷりに困惑している。
 いや、まぁ確かにひさ子の反則級な胸の大きさに驚きを隠せないのは事実だが……って、今はそれどころじゃない。
 この調子だと、本当に停電が復旧するまでこの場で話しこんでいそうだ。
 どうにかやりすごしてくれ、という思いを込めて、岩沢の背中をつつく。
 それに気付いた岩沢は、振り返ることはなかったが、どうしたものかと悩み、苦笑しながら頭をかいた。
 それからも相変わらず関根の脈絡の無い会話が続く。押しに弱いと思われる岩沢は、完全に関根のペースにはまって相づちを打っている。
 しかし、それを遮るように関根の背中に顔を埋めていた入江が、何かに気付いたように岩沢に問いかけた。
 「あの……岩沢先輩の後ろ、誰かいません?」
 その言葉に、思わず身体がびくりと反応する。俺はとっさにしゃがみ込んで、岩沢の足下と壁の間に身体を滑り込ませた。
 入江からは、岩沢の背後から俺の影が見えてしまっていたようだ。
 岩沢も、条件反射で後ろを振り返る。もちろん俺と目が合うが、岩沢はそのまま入江の元へと向き直り、
 「いや、誰もいないよ」
 「そ、そうですか……そうですよね」
 入江も自分の勘違いだと思い、胸を撫で下ろすが、それでもまだ岩沢の背後を気にしているようだ。
 そこで、俺に一つの案が思い浮かぶ。正確には、案というよりも悪巧みだろう。
 だが、うまくいけばこの場をやり過ごす事ができるかもしれない。
 「ね、みゆきち。これから何する? めったにない停電なんだからさ、岩沢先輩も誘ってかくれんぼしようよ」
 関根が入江の方に向き返って、そう提案する。ちょうど、関根が岩沢に背中を見せている状態になっており、今こそが好機だと俺は悟った。
 「なんでこんな時にやるの……? 明るくなってからやろうよ……」
 関根に返答しながら、それでも入江は岩沢の背後が気になってしょうがないのか、注意深く探りを入れている。
 俺は入江が注目していることを岩沢の肩越しに確認した後、人差し指を二本伸ばして、岩沢の後頭部から頭上へと突き出した。
 入江から見たら、丁度岩沢の頭部から二本の鬼の角が生えているように見えるだろう。
 彼女もそれに気付いたのか、岩沢の頭部に注目する。何度か目をこすって見間違いかもしれないと確かめているのだろうか。困惑気味の表情を見せている。
 その反応をみて、今度は岩沢の頭部から、俺の人差し指で作られた角をゆっくりと引っ込めた。
 動きを見せた角に対して、入江は見間違いではないと確信したのだろう。関根の話をそっちのけで岩沢の頭部に視線を集める。
 更に俺は、また岩沢の後頭部から角を生やし、それを突き出しては引っ込め、また突き出しては引っ込めてを繰り返す。
 なんとも低レベルな、小学生並のいたずらだろうか。普通の人だったらすぐに誰かのいたずらだと気付きそうなものだが、この状況で、さらに異常なまでの幽霊嫌いな入江相手だ。彼女は完全に俺の手中に落ちている。
 出し入れしていた角を引っ込めて、今度は生やさずにそのまま待機する。
 動きを見せなくなった角に対して、入江が首をかしげて、身体をわずかに前のめりにして岩沢の背後を伺おうとする。
 そこで突然、俺は、ばっ!と勢いよく両手を広げて見せた。
 「ひゃぁあああーーーーっ! 岩沢せんぱっ……うし、後ろっ!!」
 突然の変化に驚いたのか、入江が取り乱して岩沢の背後を指さして叫ぶ。
 それに気付いた関根が岩沢の方へと振り返るが、時既に遅し。関根からは、既に岩沢の背後に隠れ直した俺の姿を伺う事ができない。
 してやったり、と俺はほくそ笑んだ。
 岩沢も後に続いて背後を振り返り、再び俺と目が合う。
 あんた、何をしたんだ。と訴えるような目つきだ。
 それに対して俺は、いいからこのまま俺に任せろ、という目つきで返してやる。
 伝わったのかどうかは分からないが、岩沢は入江の元へと向き直り、
 「いや、誰もいないよ」
 「で、ですよね……あはは……」
 声で笑ってはいるが、顔がまったく笑っていない。
 「みゆきち、さすがに同じギャグを二回やるのはどうかと思うよ?」
 関根がそう提言する。
 「違うよっ、冗談でもギャグでも無くって本当に何かいたんだってばっ! もう、しおりんのばかばかっ」
 駄々をこねる子どものように、入江が関根をポカポカと叩く。
 別に関根が悪いことをしているわけではないが、もう八つ当たりみたいなものだと思う。関根も入江の文句を二つ返事で聞き流している。
 「入江もそんな状態だし、もうそろそろ部屋に戻った方がいいんじゃないか?」
 取り乱している入江とは正反対の落ち着きで、岩沢がそう提案するが、
 「いや、まだまだ夜はこれからですよ。せっかくの停電だし、やっかいなひさ子先輩もいないし、何かおもしろいことしましょうよーっ」
 関根はよほど何かをして遊びたいらしい。
 確かに、関根の気持ちも分からなくは無いが、俺達にも俺達なりの用事があるから、今はそれに付き合っているわけにはいかない。
 ちなみに、関根がここで言う「やっかいな」とは、関根が好き勝手イタズラをした時に、真っ先に止めに入って制裁するのがひさ子だからだろう。
 岩沢はあまり関根を強く咎めるような事をするようには思えないし、ここで関根を野放しにしておくとますます面倒だ。
 「しおりーん……早く部屋に戻ろうよぉ……。絶対ここに、何かいるよ……」
 「ふっふっふ……怖じ気づいたか、みゆきち。お主もまだまだキッズよの」
 「怖じ気づいたよっ! もうキッズでもなんでもいいから帰ろうよぉっ!」
 入江が関根をそそのかすが、関根は頑としてこの場を動こうとしない。
 俺は入江と関根が話しているのを見計らって、岩沢を呼ぶように背中をつつく。
 しかし、岩沢はそれに気付かないのか、入江と関根の方に見入っている。
 俺は、目の前にある岩沢の尻を柔らかく撫でた。
 「ひゃっ……!」
 岩沢がビクリと身体を震わせ、俺の方へと振り返った。
 「なにすんだっ」
 「俺が呼んだのに、お前が気付かないからだろ」
 「だからって……」
 岩沢は恥じらうように俯いて、尻を抑える。
 「まぁ、そんな事はどうでもいい」
 「……どうでもよくないけどな」
 「いいか、岩沢。今からあの二人に怪談話をしろ。信憑性のある話じゃなくてもいいが、できるだけ誰も知らないような話にしてくれ。オリジナル話だと尚いい」
 そう持ちかけるが、岩沢は怪訝な顔をして首をかしげる。
 「そんなの唐突に思い浮かぶわけないだろ」
 「そこをなんとかしてくれ。ほら、今から怪人が出てくる曲の詞を書くと考えればいいんだ。それを二人の前で語ってくれるだけでいい。後は俺が何とかする」
 「そんな簡単に思い浮かんだら苦労しない……もし、話がうまくいかなかったら、次はどうするつもりだ」
 あまりの無茶な提案に岩沢も困惑しており、恐らく俺が他の案を持ち出したら、今の階段話の案をそっちのけでその案を実行するに違いない。
 それでも俺はいいのだが、俺のおつむでは今以上の案が思い浮かばず、これでさえ苦肉の策だ。
 だからもう、これ以外にこの場を切り抜ける術はない。
 「もし失敗したら、お前の尻をこれでもかと揉みしだく」
 「……あんた、絶対ろくな死に方しないからな」
 「大丈夫だ。もう死んでる」
 俺の一押しに覚悟を決めたのか、岩沢はおでこに手を当てて思案する。
 やがて、関根と入江の方へと向き返った。
 「関根、今日はもう遅いから帰ったほうがいいんじゃないか?」
 「えー、夜はこれからですよ。もう朝日が昇るまで遊び尽くしましょうよっ」
 相変わらず関根は、子どもの様に駄々をこねるが、
 「その朝日が昇るまでに、お前が生きていられるならいいんだけどな……」
 「え……?」
 岩沢の真剣な表情に、関根は押し黙る。
 「そうだな……確かあれは、ちょうど今日みたいに停電が起きた日の事だった。その日も確か満月だったな……ある女生徒は自室で、夜更かしをしていた」
 岩沢は、何かを思い返すように語り始めた。関根と入江も、その雰囲気に圧倒されて聞き入っている。
 「時間は丑三つ時、大半の生徒達が寝静まり、ルームメイトも不在だった彼女は、一人で部屋でテレビを見ながら暇を潰していた。しかし、突然部屋の灯りが消え、何事かと焦りを覚えた彼女だが、それが停電であったことに気付き、すぐ落ち着きを取り戻した。放っておけば復旧するだろうと思い、彼女は床に寝そべって灯りがつくのを待った。でも、一向に復旧する気配が無く、十分、二十分、三十分たっても照明が灯らないままだ。不思議に思った彼女だが、そこでブラウン管のテレビだけが明かりを灯した。部屋の照明がつかないのに、なぜかテレビだけが息を吹き返し、闇に包まれる室内を照らしたんだ……」
 入江は関根にしがみついており、関根はごくりと唾を飲む。
 「さっきまでローカル番組を映していたテレビだが、今は砂嵐しか映らず、どのチャンネルに変えても、ブラウン管の画面はただ砂嵐だけを写し、そのノイズを部屋中に響かせるだけだった。テレビは映っていてるが、相変わらず部屋の照明も、電子レンジも、シャワールームのコントロールパネルも通電しておらず、なぜテレビだけ電源が入るのかと奇妙に思った彼女だったが、ずっと流れて続けている砂嵐の画面とノイズに気味が悪くなり、リモコンでテレビの電源を落とした。だが、なぜか電源が落ちることはなく、ブラウン管は未だに光を灯したままだった。リモコンの故障かと考えた彼女は、画面下部にある主電源のスイッチを押してみたが、それでもテレビの電源が落ちずに砂嵐は流れたままだった。そのあり得ない光景に、思わず彼女は立ち尽くしてしまう。しばらくすると、今度はテレビの音量が、誰かがリモコンで操作しているかのように次第にあがっていき、それと同時に砂嵐のノイズも大きさを増して響き渡る。彼女はとっさにリモコンを手に取り音量を下げてみるが、もちろんその操作が効くわけもなく、音量は更に上がっていき、ついには最高限度まで達し、室内は頭が痛くなるほどのノイズで覆われた。彼女は恐怖のあまり、その部屋を飛び出した」
 岩沢が淡々と語り続ける。
 「まず彼女は、仲のいい友達がいる隣の部屋へと駆け込んだ。だが、当然のように鍵が閉まっており、何度インターホンを押しても中から反応は見受けられない。寝ているから気付かないのかもしれないと思い、大声で呼びかけながら部屋の扉を叩くが、それでも中からは一向に反応がなかった。これだけ騒げば他の寮生が起きてきてもいいものだが、廊下に現れるものは一人としていなかった。とりあえず誰かの顔が見たいと焦り始めた彼女は、真っ先に寮長の顔が思い浮かび、その寮長がいる寮長室へと向かった。時間が遅いとはいえ、誰かしら起きている生徒もいるはずであり、あまりの長い停電に不安を覚えた生徒が廊下をうろついていてもいいものだが、寮長室へと向かう途中の廊下には誰一人として姿を見ることができなかった。そして寮長室についた彼女は、焦りと不安で動揺し、すがるように叫びながら寮長室の扉を叩く。はじめは何も反応が無かったが、何度も繰り返していると、やがて扉の奥からごとり、と音が聞こえた。音に違和感があったが、やっと起きてくれたのかと思い、彼女は寮長の名前を何度も呼ぶ。すると、鍵が開く音がして扉がわずかに開いた。安心した彼女は勢いよく扉を開く。すると、その玄関に立っていたのは……体中血まみれで、白目を剥いたまま立ち尽くしていた寮長だった……」
 「ひぃんっ……!」
 入江が、関根の胸元に顔を埋める。
 「はは……良くできた話ですね、岩沢先輩。すごくリアルですよ……」
 笑顔が引きつっている関根が煽るが、岩沢はかまわずに話を続ける。
 「彼女は、あまりの衝撃的な光景に悲鳴すら出なかった。そのまま彼女は寮長室から離れるように走り出した。行く当てもなく、すがる人もいない彼女は、必死の思いで自室へと向かう。だが、階段へと向かう廊下で、彼女はさらに驚くべきものを見た。廊下の側面に位置する部屋の扉が一斉に開き、中から仮面をつけた、土気色の人が現れた。それを人と呼べるのかどうかは分からず、肌は血の気を帯びていているどころか所々腐敗しており、それと共に腐敗臭を帯び、頬や身体はやせこけて、その一部からは骨も見え隠れしている。まさに動く死人−−ゾンビとも言うべきものが、仮面を被ったままよたよたと歩き、彼女に襲いかかった。大勢の死人の群れを前に、頭が真っ白になり恐怖する彼女だが、ここで立ち尽くしていては殺されると思い、必死に死人共の追っ手をかいくぐって彼女は廊下を駆け抜けた。途中の階段や階上の廊下にもその仮面をつけた死人共が蔓延っており、それでも彼女は必死にかいくぐって、自室へと逃げ込み扉の鍵を閉めた……」
 一呼吸間を置き、再び話を続ける。
 「玄関にへたり込んだ彼女は、あまりの非現実的な光景に頭を抱え、しばらくその場に座りうずくまっていた。その末、彼女は今見ているこの光景は夢なのだと悟り、あきれ果てて立ち上がり、部屋の中へ戻った。既にテレビは消えており、窓から射し込む満月の明かりだけが部屋を照らしていた。とっとと寝てしまおうとベッドへ向かう彼女だが、そこで部屋の隅に何かがいることに気付き、彼女の動きは止まった。部屋の隅にいたそれは、人のそれとは到底似つかない形をしており、月光にさらされたその姿は、四十の目を持つ、まさに魔物とも言うべき異質物だった。それを見た彼女は心臓が止まるほどに驚き、固まる。叫ぼうとしても恐怖のあまり声も出ず、目をぎらつかせたそれに見据えられて、彼女はその場で凍り付いた。やがて、その怪物がゆっくりと動きだし、彼女の元へと歩みよる。声も出せず、動くこともできない彼女は、近づいてくるそれをただただ見ているだけだ。そして、その怪物は彼女を……」
 そこで岩沢は言葉を結んだ。入江は恐怖のあまり泣くことすら忘れて呆けており、青ざめた表情のまま、二人で身を寄せ合っている。
 「それ以来、こういった停電の日にはそういう魔物が出ると言われ、恐れられてきたんだ……」
 俺は岩沢の背後で、ゆっくりと立ち上がる。
 「夜更かしをしたいけない子には、怖い、怖い魔物が迎えに来るってな……」
 腕を上げ、肘から先の力を抜き、背後から岩沢を包み込むように手を伸ばして抱え込んだ。
 「で……でたぁあぁあああーーーーーーーーっ!!!!!」
 岩沢の背後で蠢く俺の人影に恐れおののいた関根と入江は、奇声を上げて、脱兎の如く走り去っていった。
 途中、入江がつまづいて盛大に転ぶが、それでも痛みを忘れて叫びながら関根の後を追っていった。
 「ふぅ……なんとか乗り切ったな」
 汗をかいているわけではないが、手の甲で額を拭う。
 「あんまり乗り気じゃ無かったんだけど……あの二人に悪いことしちゃったな」
 そう言うわりにはかなり乗り気だったけどな。そもそも、よくもとっさにあんな話が思い浮かんだものだ。
 「それはほら……ちょっと有名な曲から拝借してさ」
 そう言って、岩沢ははぐらかした。
 「まぁいい。後二回階段を下りれば私の部屋だ。停電が復旧する前に急ぐよ」
 「お前開き直り早いな」
 「人間、時にはそういうのが必要なんだよ」
 「そんなもんなのか?」
 「ああ。そんなもんだ」
 俺の方を振り向かずに、岩沢はずかずかと先へ押し進んでいった。
 俺もそれに続き、再び、壁伝いに人混みの中へと歩を進める。
 この先、何事もなく岩沢の部屋までたどり着ければいいのだが……。





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